「あれっ?林さんは?」

営業部の部屋に入っては見たものの、林さんがいない。

「杉原ちゃん!こっちこっち!!」

会議室から顔を出し、おいでおいでをするのは、間違いなく仏の林さんだ。

いつ、誰が、言い出したのかは知らないけど、『鬼の奥田。仏の林』は有名だ。


「すみません、お忙しいのに……」

「いいの、いいの。杉原ちゃんみたいなカワイイ子のためなら、おじさんはひと肌脱ぎますよ~」


……いや、脱ぐのは村長さんだけでいいっす。

それでも林さんの顔を見てほっとしたのか、心の中でツッコミを入れる余裕も出て来た。


「まずは条件を確認しよう。端債は顔良し(人気のある債券)の8,000万。レートは引けの5糸甘。猶予期間は3日、か。せめて1億にまとまってたらなぁ~」

うう~む、と林さんは眉根を寄せ、考えを巡らしてくれる。

私もうう~むと両手で肘杖を付くけど、頭の中はスッカラカ~ン。

「はぁ~。やっぱ、部下イジメなのかなぁ」

不意に口を突いて出た言葉に、林さんがピクンと聞き耳を立てる。

「何か心当たりでもあるの?」

「え?!あ、まぁ、実は…ちょっと…」

あの時、目を瞑っていたから詳細は知らないけれど、ソフトボールの一件を、周りで見ていた先輩社員たちからの証言をかいつまんで林さんに話す。

林さんは吹き出すと、お腹を抱えてゲラゲラ笑い転げる。

「傑作だ!あの奥田が!!」

林さんは大笑い。

だけど、笑いが引いた後に、落ち着いた林さんがふと真顔になる。

「ま、でもね……僕は断言するが、あいつはそんなことを根に持って君にイヤガラセをするほど、器の小さな男じゃない」

そう言えば、林さんは奥田課長と同期だって聞いた。

顔を上げて、林さんに向き直る。

「林さんはずっと前から課長のことをご存じなんですか?」

「ご存じも何も、高校時代からの付き合いだよ」

高校時代?!

……って言うことは課長が甲子園に行ったって言うのも、もしかして知ってるの?

林さんは椅子にもたれ掛ると、まるでずっと遠い昔を見ているみたいに目を細める。

「あいつは天国も地獄も知ってる懐(ふところ)の深い男だよ。杉原ちゃんに何の理由も無く、無理難題をふっかけて楽しむようなヤツじゃない。これだけは、僕が保証するよ」