まずは、自分の事でも紹介しましょうか。
私は、阪口 彩佳。
現在中学2年生で普通に地元の中学に通う女の子。
頭が悪ければ、運動もできるわけではない。
ただ、どんな子でも友達になれる性格・・・というのが私の唯一の自慢・・・に、なるのかな?私が小学6年生になるまでは、どこにでもいる、幸せな4人家族だった。
所長を務め、毎日家族のために何百人もの人を働かせる仕事の父。
専業主婦であり、時間が開いたときに内職をする、頑張りやな母。
まだ小さくて、私達のすることはなんでもしたがり、わがままな妹。
そして、そんな家族が大好きだった長女、私。
そんな家族に、不幸が訪れたのはたしか、
私が小学3、4年生くらいの時だっただろうか。
―――――ママが病気になったから、
これから少し病院に入院するからよ。
そう言った父。
――――――――――ままが、病気・・・。
それからしばらくして、入院手続きを終えた母は、父の言う通り、入院することになった。
休みの日は、お見舞いに行った。
ママに会える日は、とても嬉しかった。
会いに行ける前の日は、ママにどんな話をしよう!とワクワクして話を考えて眠るのだけれど、ママに会って、顔を見れば、そんな事はもう頭の中から消えていた。
お見舞いに行くと、恐いのが帰らなければいけない時間。
パパが運転する車の後ろに妹と2人、乗る。
送りに来る、母の姿が見えて泣きじゃくる妹。
それをなだめる父に、母から目をそらせない私。
少しでも目を離してしまえば、母は手の届かないところに行ってしまいそうで・・・。
私は小さいながらにして、そんなことを考えていた記憶がある。
小学4、5年生になり、ままの病気が何なのか、気になり始めていた頃。
私は、押し入れで見てはいけないものを見てしまったんだ――――。
「・・・何これ」
――パラパラ・・・
―――――がんになってしまった。
ままの字。
がんになってしまった。
がんに・・・
ガンニナッテシマッタ。
いくら小学生だからと言っても、"がん"という言葉くらいは知っていた。
ただ、重い病気なんだ、ということだけ。
母の病気はどんどん進んでいった。
抗がん剤も始め、髪も抜け落ち、帽子やウィッグは欠かせなかった。
吐き気もひどかったらしいし、針のあとなんかもすごくて、母だけど、母じゃなくなっていくみたいで、恐かった。
母は、私達に弱いところは一度も見せたことがなかった。
すごく、強くて、すごい母だった。
私は自分の部屋で、絵を描いたりして遊んでいた。
そんな時、1階の方から聞こえる泣き声。
そっとドアの隙間からリビングを覗くと、泣いている母とその背中をさすり、一緒に泣いている祖母の姿。
私は気付かれないように、ドアの横に座り、話を聞いていた。
泣きながら何か必死に訴える母。
私は涙が止まらなかった。
何を言っているのかは聞き取れなかったけど、
母の弱い一面を見たことで涙が溢れた。
いつも強い母が、
私達には内緒で
お母さんに話していることが、嬉しくて。
母も、つらいことを話していることに涙が出た。