少年の登場により、サイクルが上手くいかなくなったので儀式は一時中断。
小学校高学年の男の子が一生懸命網を振り回しているのは、かなり滑稽だ。
…というか、虫取り網持って歩いている小学生なんて、近頃見た事がない。
私が小学生の時は、男の子と一緒に網を持ってこの公園を走り回っていたけれど。
虫が鳴く声は、ほとんど聞こえない。
この街も昔に比べたら、緑がなくなっているのだろう。
「…いくら網を振り回しても、シャボン玉はとれないと…思うよ」
プラスチック容器のふたを閉めて、いつでもベンチから立ち上がれるように身構えた。
最近は、キレて手に負えない小学生も多いと聞くし。
気持ちがシャボン玉に向けられているうちはいいけど、自分に向かってきたらたまったものじゃない。
相手は小学生とはいえ、私は女の子なのだ。
「捕まえられるよ?」
返ってきた答えに、悪意とか殺気とかは全く感じられなかった。
それよりも、無邪気というか無垢というか、捕まえられる事が当たり前とでもいうような話し方だった。
少年の振り回した網の中で、バチンバチンとシャボン玉が割れる音がして、漂っていたシャボン玉は、一つもなくなった。
少年はゆっくり網を自分に近づけた。
そして、緑色の網の中に手を入れる。
「…ほら、捕まえた」
網の中に手を入れたまま、少年は、にっこりと私に笑いかけた。
「良かったね。空に飛んでいく前に捕まえられて」
ゆっくりと網から出された右手。
キレる子供ではないのは分かったけれど、不思議君だ。
「ほら見て。おねえさんのシャボン玉から孵ったサカナ、あんなに高いところまで上っていったんだよ」
少年と共に見上げた空には、巨大な鰯雲が広がっていた。
秋の空に、鰯雲があるのは珍しい事ではないし、明日は雨が降るのだろう。
それにしても、シャボン玉から魚が生まれて、しかも雲になるなんて、想像力がたくましいというか、子供っぽいというか。
…やっぱり不思議な子。
「シャボン玉はタマゴなんだよ。言葉として生まれる事のなかった気持ちが、いっぱい詰まってる」
「…なにそれ」
少年は、背負っていたカバンの中から小瓶を取り出し、ふたを回して開けた。
そして、その中にコトンと玉を落とし入れ、ふたをきっちり締めて話を続けた。
「愚痴とか不満とか、叶わない夢とかそんなこと考えてシャボン玉吹いてたでしょ?」
「苦しい言葉が吐き出されるならいいじゃない。大人はね、他の人には言えない悩みがいっぱいあるのよ。さっき君は夢のタマゴを捕まえるとか言っていたけど、吐き出されるのは嫌な気持ちなんでしょう? だったら捕まえる必要なんてないんじゃない?」
苦しい言葉をシャボン玉にしてとばしてしまおうというのなら捕まえる必要なんてない。
むしろいい事のような気さえする。
言葉を溜めておくのは確かに苦しい。
だから人は話し相手を求めるし、歌を唄う。
詩を詠むし、お話を書く。
シャボン玉を吹くのも同じ事だと思う。もしかしたら、一番いい事なのかも知れない。
人を傷つける事もないし、誰かに嫌われる事もない。
「嫌な気持ちだけがはき出されているうちはいいんだけれどね。
たまにだけど、頑張ればできるかもしれないのに、諦めちゃった大きな夢とかが吐き出されちゃう事があるんだよ。
だからさ、捕まえてあげるの。
空に上がっちゃったらもう、捕まえられなくなっちゃうから」
私が将来について考える事ができないのは、夢のタマゴを吐き出しすぎたせいなのかもしれない。
苦しい気持ちを紛らわすために、機械のようにシャボン玉を吹くようになったのは、高校生になってからだ。
中学生の時は、目標の高校に合格出来るようにひたすら勉強して過ごしていた。
高校に入る事が夢だった。
目標の高校に無事合格、夢は叶った。
だけど次は?
次の夢は全く浮かんでこなかった。
周りの同級生は自分の進路を決めつつある。
私だけが置いていかれる。
そんな焦る気持ちを落ち着かせるために吹いてきたシャボン玉。
それが夢をなくす原因になっていたなんて皮肉なものだ。
「これ、返すよ。大事にした方がいいよ」
私は、差し出されたまま小瓶を受け取ってしまった。
小さな瓶の中で、薄紫色のタマゴがカラカラと音を立てる。
「あんた、何者なの?」
「名前はショウ。小学校六年生。夏休みにこの街に引っ越してきたんだ。趣味は人間観察。特技は手品。お姉さんは?」
欲しかった答えは、自己紹介ではなかったのだけれど、まあいいか。
「…チヒロ。高校二年生。生まれた時からこの街に住んでる。趣味も特技も特になし」
「シャボン玉は趣味じゃないの? だって僕が二時間前に、友達とここで遊んでいたときからずっとシャボン玉吹いてたでしょ?」
「…二時間も前から見てたんだ…」
「うん」
ひたすらシャボン玉を吹き続ける女子高生は、相当変な子に見えただろう。
それを想像したら、恥ずかしくなった。
自分の事だけ考えて周りが見えなくなっていた。
変な子なのは私の方だ。
「手、だして?」
少年は、私の目の前で両手をぶらぶらさせて、両手をぎゅっと握りこんだ。