ある雪の降る朝、レイは生まれた。
病弱な彼に母はいつも手を焼いていた。今日もまた怒られたレイはしだいに自信を無くしていった。
学校では打ち解けられない。しゃべりたくてもしゃべれない。どうしてか分からない。自分でもわからない。
みんなに溶け込みたいのに、皆と打ち解け合いたいのに、なぜか体が思うように動かない。

レイのこの状態を問題視する者はいなかったが、レイは場面緘黙症であった。
場面緘黙症とは、家ではしゃべれるのに学校などある特定の場所でしゃべれなくなる症状である。
レイはもともと不安が強い子で人見知りも激しく、幼稚園の頃から輪に溶け込めないでいた。

なんでなんだ?と1人でもがき苦しんでいた。一方、周りの誰1人として、母親でさえ、彼がそんな特殊な状態におちいって苦しんでいるとは思いもしなかった。
当たり前のように接し、何事もないかのように日々は過ぎていった。
母の目に映る彼は、学校ではおとなしく、家ではうるさい、内弁慶な厄介な子であった。
何度言っても言うことを聞かない彼に母は手を焼いていた。
しかし彼は彼で、学校でのストレスから、家で騒がないわけにはいかなかった。学校では思うように動けず、一言も自由なおしゃべりができないのだから。
まるで凍りついたように肩には力が入り、全身も固まって動きがぎこちなく、しゃべりたくても極度の緊張からか口が開かなかった。
レイはそんな自分にストレスがたまり、学校でしゃべれないぶん家では皆の2倍も3倍もしゃべらずには気が済まなかった。母には毎日怒られ、父に殴られたり追い出されることもよくあった。
レイはその度に心を痛め、なぜ自分だけが怒られるのか理解できずに苛立ち泣いていた。
家でも欲求を抑えられ、ますますストレスと自己嫌悪が増していった。「あんたなんかうちの子じゃない」は耳タコである。その頃「自分なんかどうなってもいいんだ」という感覚がレイを捉え始めた。
学校でもしゃべれなくて家でも怒鳴られて、彼はいつしか「自分の居場所がない」という感覚を染み込ませていった。知らず知らずに。


小学4年生になった頃、ようやく学校に少しずつ慣れてきた。学校ではよくお世話してくれる男の子がいた。