そんな時雨の目指す外では一人、土方が闘っていた。



「―――我ら新選組が只今改めの最中である。入らないで頂きたい。」


「それはご苦労であった。我ら会津に任せてもらおうか!」


「…。」


八月十八日の政変以降、長州の尊皇攘夷志士を追い出すべく、京都守護職は新選組に市内の警護及び捜索を命じていた。


五月の下旬頃、四条小橋上ル真町にある炭薪商の枡屋の古高俊太郎の存在を知る。


会津に報告後、調べると武器弾薬が見つかり古高は新選組により捕縛され、尋問を受けた。


その際口にしたのが

『祇園祭の前の風の強い日を狙って京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜、松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去る。』

というものだった。