あたしがそう言うと、日向は微笑んで。
「奈央、左手出して」
言われたままに左手を出すと……。
「………っえ、これって?」
薬指にはめられた指輪。
それは、まぎれもなく今日行ったアクセサリーショップで、あたしが欲しがっていたハートの指輪だった。
「これもサプライズかな」
と、満足そうに笑う日向。
あたしは別に、日向にこれが欲しいと言ったわけでもないのに……。
どうして、分かったの? って聞こうと思ったけど……やめた。
日向はこういう人だから。
誰よりもあたしの幸せを願ってくれて、期待以上のことをしてくれる。
そんな日向が……大好きだから。
「ありがとう……っ」
あたしは左手にはめた指輪をキラキラ輝かせながら、とびっきりの笑顔で日向に言った。
「それでは、誓いのキスを」
神父さんは、そう言うとあたしたちに気を使ってくれたのか、奥の部屋へと消えていった。
「奈央……」
「日向………」
日向にぐいっと引き寄せられて。
「「愛してる」」
同時に同じ言葉がでてきたことに、クスッと笑いをこぼしながら二人で笑いあった。
………これがあたしたち。
お互いにお互いの幸せを願いあって。
最期まで笑っていこう。
そんな想いを胸に、あたしと日向は優しく唇を重ねた。
日向………ありがとう。
「パパとママにお土産の八ッ橋と、着替えは持ったし……マメ太は真希の家に預かってもらったし」
玄関にある鏡の前で少し乱れていた髪を整えて、あたしは家を出る。
マンションから出ると、徒歩で駅まで向かった。
先週、修学旅行から無事に帰ってきたあたしと日向。
まだ仕事がある日向は、帰ってからすぐに中津さんとイギリスへ行ってしまったけど。
あと、少し………。
そう思うと、不思議と離れるのは前より辛くはなかった。
そして、修学旅行の振り替え休日のあるあたしは、それを利用して一日だけ実家に泊まることにした。
お土産も渡したいし……。
久しぶりにママとパパの顔も見たい。
ワクワクしながら、日向のマンションからは少し遠い実家まで電車を乗り継いだ。
「久しぶりだぁ……」
ようやく実家の前について、しばらくぶりに見る家の様子に懐かしさを感じる。
心がジワって暖かくなるような……そんな気持ちだった。
一応、鍵は持ってるけど、ママたちは今の時間いるのかな?
たぶん、パパは仕事だろうし。
普通のサラリーマンのパパと、専業主婦のママ。
兄弟はいないけど、うちはごくごく普通の家庭だった。
だからこそ、日向と結婚するときは、少しだけ……ママたちを寂しくさせてしまうんじゃないかという、不安もあった。
だからこそ、こうやってたまに遊びに来ることで、少しでも喜んでもらえたらいいな……。
ちょっと緊張しながらも、玄関のドアを引く。
ガチャリと重いドアが開いて、一気に懐かしいうちの香りが鼻をくすぐった。
少し独特な趣味のママが買った、変なカエルの置物や、あたしが小学校の時に作った造花が飾ってあって。
廊下の向こう側にある少し開いたリビングの扉からは、ほんのりカレーの匂いが漂ってくる。
懐かしい……昔のままだ。
学校から帰ると、あの扉の向こうからママが「おかえり」って言ってくれて………。
「あら奈央、おかえり♪」
「……………」
「奈央?」
「………マ……マ」
「どしたの、固まっちゃって」
「ふぇっ……ママーッ!」
「ギャーッ! 何で泣くのーっ!?」
まるで、昔みたいにリビングの扉からヒョコッと頭を出したママに、あたしは泣いてしまった。
分かんない……分かんないけど、なんだか安心してしまった。
何も変わってない、この光景に。
「やぁねぇ、この子ったら。やっぱり泣き虫だわ、フフッ」
そう言ってこっちに近づいてきたママは、優しくあたしの頭を撫でた。
「見ないうちにずいぶん大人っぽくなったわね、見た目は」
「み、見た目は……って」
じゃあ、中身はまだまだ子供ってこと? そう言いかけたけど、あたしは黙ってその言葉を飲み込んだ。
いいよね、ママの前でくらい。
子供に戻っちゃったって……。
「パパは夕方帰ってくるし、今日はゆっくりしてきなさい」
ママは、日向が今撮影でイギリスに行っていることも話してあるし。
前の夏紀さんの騒動のこともちゃんと話したわけじゃない。
きっと、あたしに聞きたいことはたくさんあるはず。
それでも、そのことには全然触れずに、ただあたしをいつもどおりに扱ってくれる。
それが今のあたしには、変に考えずにすんで、とても楽だった。
なんだかんだで騒がしいところもあるけど、やっぱりママはちゃんとあたしのことを考えてくれている。
そんなママが、あたしは大好きだ。
「……………」
「あら、奈央?」
修学旅行のお土産を渡すと、お茶でも飲もうと言ったママ。
さぁさぁと背中を押されながらも、リビングに入ったあたしは絶句した。
そこにあったのは……。
リビングの壁にドーンと貼ってある、大きな日向のポスター。
「なっ……」
「な?」
「なにこれ、なにこれ……っ!?」
「やだぁ〜、日向くんじゃないの〜」
「そんなこと分かってるって!」
何か問題でも? という顔であたしを見るママに、あたしは肩の力が抜ける。
「奈央は、いつもナマ日向くん見てるんだから。これくらいいいじゃないの」
「そういうことじゃなくて……」
呆れながらも、ポスターのそばに近寄ってもう一度見てみる。
こんなの、どこで手に入れたんだか……。
そう思っていると、いつの間にかママは、ニコニコしながらお茶の準備をしていた。
「ふふ、日向くんはもううちの息子も同然なんだもの。子供の活躍を見守るのも、親の役目でしょう」
………答えになってないし。
こんなんじゃ、恥ずかしくて日向のことうちに連れて来れないよ……。
おでこに手をあてながら、あたしはダイニングテーブルのイスに座る。
すると、ちょうどそこに準備のできたママが、お茶を持ってきた。
「さぁ、ゆっくり午後のティータイムでもしましょうか」
得意の笑みでニッコリと微笑んで、あたしの向かい側に座る。
ママの淹れてくれた紅茶を一口飲んで、心を落ち着かせる。
「どう? ラブラブの新婚生活は」
「ラッ、ラブラブって……///」
いきなりママの口からでた、突拍子もない言葉にあたしは思わず赤面した。
「やだぁ〜、初々しいわねぇ」
「変なこと聞かないでよっ! ……べ、別に、普通だし」
「普通って何よ〜、日向くんカッコいいし素敵だし。奈央のことだから、どうせベッタリなんでしょ〜」
ママにそう言われて、いつかの真希の言葉を思い出す。
『本当日向って、奈央にぞっこんって感じだよね〜』
……どっちかと言うと、ベッタリされてるのはあたしの方な気が………。
でも、絶対ママにからかわれると思ったので、それは言わないでおいた。
「ふふ、良かったわ。幸せそうで」
「へ………?」
安心したように、優しく笑うママ。
「奈央、気づいてないみたいだけど。日向くんのこと考えてるとき、顔にやけてるわよ」
「ッ………!?」
自分では全然分からなかったことを言われて、慌てて口元を隠す。
は……恥ずかしい………///
「さて、夕方にはパパも帰ってくるし。そろそろ夕飯の準備しないと!」
いつの間にか飲み干しているカップを片付けて、立ち上がるママ。
「え……まだ三時だよ?」
夕飯の準備には、早すぎる気が………。
そう思いながらも、立っているママを見上げる。
「だって今日はごちそうだもの。奈央も手伝ってね?」
昔はよく、ママと一緒にキッチンに立って手伝いしてたっけ……。
自然と口元が緩みながらも、あたしは残りの紅茶を飲み込んで立ち上がった。
「しょうがないなぁ」
なんか、久しぶりにこうやってママと話するのも、楽しいなぁ。
「パパ、まだかな」
「うーん、そろそろだと思うんだけどね………あ。でも今日は少し遅いかも!」
「え……なんで?」
「ふふ、まだヒミツ♪」
「………?」
せっかくママと協力してごちそうを作ったというのに、帰宅時間を過ぎても帰って来ないパパ。
そして、遅くなる理由を知っているらしいのに、何も教えてくれないママ。
……なんか、変なの。
そう思った時だった。
「……帰ったぞ」
玄関のほうから聞こえた、聞き覚えのある落ち着いた声。
「奈央、行っておいで」
ママはにっこりそう微笑んで、あたしに視線を送った。
なぜだが分かんないけど、少し緊張する胸を押さえてあたしはリビングから出る。
向こうのほうで、腰を下ろして靴を脱ぐ後ろ姿。
小さい頃、よくあたしをおんぶしてくれた広い背中。
「おかえり……パパ」
後ろからそっと声をかけると、頭を上げて振り返る。
少し垂れたその目にうつる、あたしの姿。
「久しぶりだな、奈央」
頑固で意地っ張りな性格のわりに、どうも憎めない優しい笑顔。
昔のままだ。
小さい頃から変わらない、この安心する感じ。
また感激して泣きそうになりのをグッとこらえて、あたしはパパの鞄を持つ。
「ママとね、ごちそう作ったんだ! 早く食べよ!」
「そうか、着替えたらすぐ行くから。奈央は先に行ってなさい」
「……うん、わかった」
相変わらず口数は少ないけれど、やっぱりいいなぁ。
こうして、パパやママと久しぶりに会うのは。
午後七時。
ようやく今井家の三人がそろって、ごちそうの並んだテーブルを囲む。
「それでは、奈央の無事帰還を祝って〜、カンパーイ!」
「「…………」」
無事帰還……?
あたしは戦場にでも行っていたのだろうか……。
ママの意味不な発言につっこむこともなく、とりあえずリンゴジュースのはいったグラスを傾ける。
ビールを片手に黙々とおかずをつまむパパに、あたしは何か話題はないかと頭をひねる。
話したいことは、たくさんあったはずなのに、なかなか口からは出てこなくて……。
この微妙な沈黙がむずがゆい。
「……やぁね、お葬式じゃないんだし。親子なんだからもう少し会話でもしたら?」
そこに出る、ママの助け船。
「あぁ……そうだな」
頷いてはいるものの、それから結局パパがあたしに話しかけてくることはなかった。
親子三人、黙ったままご飯を食べて、久しぶりに羽を休めに実家に帰ってきたのに……これじゃあ、全然気が休まらないよ……。
そう思いながらも、あたしは食べ終わった食器をママと片付けるのだった。