「………実は今、イギリス行きの話が出てんだ」
「………………」
「映画の撮影でさ」
こういうのは、日向の仕事柄仕方のないことだから……。
結婚する前から、覚悟はしてた。
有名な俳優さんだもん。毎日は、一緒にいられないんだよね。
「そっか………」
それだけ言うのが精一杯だった。
じゃないと、口を紡いでないと『行かないで』って言っちゃいそうで………。
「でも、何年とか行くわけじゃないし。たまには日本にも帰ってくるし……」
「どのくらい………かかるの?」
「行くのが三ヶ月後で、そっから半年が撮影期間」
………半年。
「せっかく、夏紀さんのことも終わって。一緒にいれるって思ったのにな……」
視界がだんだんぼやけてくるのが分かる。
「………ごめん。奈央に、寂しい思いばっかさせて」
「………っ……ぅ」
「………ごめんな?」
そう言った日向は、ブランコに座ってるあたしを立たせて、そっと抱きしめた。
身体ごしに伝わる日向の体温が、心地よくて。
また、しばらくこうやって日向を感じることもできなくなるんだと思うと。また胸が痛む。
「………俺は、行く気でいる。奈央には辛い思いさせちゃうって、わかってる。でも……」
そう言うと、日向は言葉を詰まらせた。
………わかってるよ。
日向は、俳優っていう仕事にどんだけ本気なのかとか。どれだけ誇りを持ってるかとか。
………あたしは、知ってる。
だからこそ、あたしが背中を押してあげなきゃいけないのに……。
「ごめんね。あたし、弱くて。こんなことでも、すぐ泣いちゃうしっ………わがままだし。まだまだ子供だし」
顔を上げて、涙がまだ止まらない目を日向に向けた。
「でもね、誰よりも日向が大好きだから………」
「………奈央」
「………日向もブランコに乗ってるあたしの背中押してくれたんだもん。今度はあたしが押す番だよね?」
あたしが、一番そばで日向を応援したいんだ。
「………いってらっしゃい」
涙をこらえて言ったはずなのに、ほっぺにあったかいものが流れる感じがした。
「………すが、俺の女。よくできました」
やわらかな笑顔で微笑んだ日向は、あたしのまぶたにキスをした。
「………浮気したら、呪ってやるんだから」
外国には、スタイルの良いボンッキュッボンの女の人とか。足が長くて、鼻が高いセクシーな女の人とか。
たくさんいるんだろうな……。
「バーカ。奈央以外の女なんて眼中にないから」
「………っ」
そんなこと言われたら、離れたくなくなるよぉ……。
また涙が出そうになって、あたしは日向の胸に顔を押し付けた。
「コラ。ちゃんと顔見せて?」
と言った日向は、あたしの顔を離して、両手でほっぺを包み込んだ。
そして、気付いたときには唇を重ねていた。
寒空の公園の下で、あたしたちの吐息だけが響く。
正直、日向を待つ間、泣かない自信はない。……きっとすぐに泣いちゃうかもしれない。
それでも、あたしは日向が大好きだから。
日向の仕事を応援したいから。なにがあっても、待ってるよ。
半年だろうが、百年だろうが。
あたしの日向への気持ちが変わることは絶対にないから。
「………奈央、愛してる」
「………あたしもだよ」
だから神様、もう少しだけこのままでいさせてください………。
〜〜〜〜♪
「んっ………日向ぁ?」
携帯のアラームで目が覚めて、ベットの隣を見るけど……。
「あ………いないんだった」
日向がイギリスに行ってから一週間が経った。
何回目だろ、こうやって日向のいない隣を見てしまうのは……。
「やっぱり、慣れないなぁ……」
あのお鍋パーティーの夜に、日向からイギリス行きを告白されて。行くまでの三ヶ月間なんて、あっという間に過ぎてしまった。
日向が一人で行く訳じゃないから、スタッフさんとかもいて、あたしは見送りに行けなくて。
マンションの前でバイバイした日向の背中だけが、鮮明に残ってる。
一昨日からあたしの学校は春休みに入り、あたしは、真希とファミレスのバイトを始めた。
シフトもほとんどは真希と一緒に組んでもらってる。
だって、そうでもしてなきゃ日向のことばっかり考えてしまいそうで……。
少しでも寂しい気持ちを紛らわせたかった。
今日もお昼からバイトがはいってるはず。ゆるいあくびをしながら時計を見ると。
「わっ、もうやばい!!」
真希との待ち合わせの時間に気づいて、あたしは急いで着替えた。
「あっ、奈央!! おはよ」
「おはよっ、ごめん遅れて!!」
「まだ電車の時間まであるから大丈夫だよ〜」
「そっか、行こっ」
マンションの前で、立っていた真希と合流して、駅まで向かう。
「どう? 日向いない生活、少しは慣れた?」
あたしの顔を不安げに覗き込む真希。
「やっぱ、寂しいかな……。でも、日向も頑張ってるんだし。あたしも頑張らないと」
「そうだよ!! 奈央なら、またいい男見つかるよっ」
「いやいや、フォローなってないし!! てか、別れてないし!!」
「あはははっ」
あははって……最近、真希のおバカ加減がますますヒドくなってるような……。
「「おはようございまーす!」」
電車を乗り継いで、ファミレスに到着。
タイムカードをおしてから、真っ先に更衣室に向かって、まだ着慣れなれない制服に身を包む。
「ちょっと真希、静電気で髪ボサボサなってるよ」
「わっ、ほんとだ」
鏡を見ながら髪を整える真希。なんか、真希がこの制服着るとさまになってるなぁ。
「てかさ、ここ時給もいいし、雰囲気もいい感じだけどさぁ。あたし、ここの店長苦手〜」
顔をしかめながら話す真希。
「あ、あたしも。化粧濃いし。性格キツいし。なんか話しづらいよね〜」
ここの店長の山崎さんは、四十歳半ばの女性。
面接の時は優しかったのに、いざバイト始めるときついのなんのって………。
「目、こんな感じだよね〜キーッて感じ!!」
「ぎゃはははっ」
指で目を釣り上げながら、店長の真似する真希がおもしろくて、思わず爆笑していると……。
ガチャッ。
「ちょっと、新入り!! いつまでもくっちゃべってないで、早く仕事しなさい!!」
噂をすれば影。いつにもまして、化粧の濃い店長登場。
「「はいっ、すみません」」
真希と声が重なって謝ると、店長は目を光らせながら出て行った。
「ふぅ〜、行こっか」
そう言って、あたしたちは更衣室を出る。
「今日も化粧濃かったね〜」
「アイシャドウとかパンダだもん」
「あははっ、言えてる〜」
廊下を歩きながら、真希と歩いていると。
「あ………」
「どした奈央?」
あたしたちの前から、背の高い男の人が歩いてくるのに気づく。
「煌星くん、おはよ」
「ん、はよ」
無表情のまま、あたしたちを見もせずに、あくびをしながら通り過ぎたのは同じバイトの煌星くん。
なんか、クールっていうか。あんまり人と関わりたくないって感じのオーラを出していて、少し話しかけにくい。
身長は、日向より少し低めだけど、あんまり明るい方ではないし、黒髪だし。
日向とは逆って感じがする……。
「奈央、よく話しかけられるよね。なんか、あの人かっこいいけどさ、怖くない?」
「怖くはないけど……一応あたしたちより先にバイトしてたんだから、挨拶ぐらいしとかないと」
歳はあたしたちと同じらしいだけど、バイト先では先輩にあたる。
「えらいね、奈央。あたしも見習お〜」
なんて呑気に言った真希は、スキップをしながら歩いていく。そんな真希の後ろ姿に、笑いがこぼれながらもあたしは真希を追いかけた。