その目の恨めしさに俺は、首を傾ける。
『………なぁ、その額、どうした、っ』
ギロリと殺気の込められた目で睨まれ、俺は、息を呑む。
『アハハッお前が、やったんだぞ?』
『―――――は?』
んなまさか…………と女をもう一度見た後、男に目を戻す。
『………まぢ?』
聞こえているとは分かっていても、小声になってしまう。
『まぢまぢ。お前あの後意識飛んで、見事桜姫に体重全部かけてくれちゃったわけ』
んで、支えきれなかった桜姫はそのまんま地面とごっつん。
この状況を楽しみながら、小声で話す男に俺は、冷や汗をかく。
(………馬鹿野郎)
何故女の方に倒れる?アホか俺は。
チラッと恐る恐る女を見上げ、俺は深々と頭を下げた。
『………申し訳ない』
『………』
『ホント、俺が悪かった』
倒れるなら、一人で勝手に倒れろって感じだよな。
『…………一万六千』
『は?』
謝る俺に降ってきた声は不満たらたらな女の声。
顔を上げると、女は俺に背中を向けていた。
『額の治療費、払え』
それだけ言い捨てると、女は、部屋から出ていった。
唖然としながらその背中を見送ると、男の方がやれやれと溜め息を一つ。
『全く、素直じゃないんだから』
『?』
『つーわけで、一万六千円、退院したら返しに来いよ』
男の方も立ち上がりながら、くぅっと伸びをする。
『返すって……』
『ん?あぁ、場所はお前が囲まれていた場所の近く。』
すぐわかるさ。
『おいっ』
部屋から出ていこうとする男を呼び止める。
『あ、俺達は、皇蘭』
じゃ、と手をあげて部屋を後にした男に、俺は、唖然としながら見送った。
"皇蘭"
その名前を知る奴は少ない。否、殆どいないと言っても過言ではなかった。
『おー久々』
『……………』
やっとたどり着いた"皇蘭"。
古びた小さな工場。
出迎えてくれたのは二人。
『調子はどーよ?』
『……悪くない』
『そりゃぁ良かった』
ケラケラ笑いながら、男は『桜姫!』と名前を呼ぶ。
『何、和』
ひょこっと顔を出した女は、額のガーゼはとれ、若干眠たそうな顔で現れる。
『寝てたのか?』
『起きた』
ふらふらとしながら歩いてくる女は、俺を認めると眉を寄せる。
『桜姫は、ちょっと虫の居所が悪いみたいだ』
悪いな、と軽く謝ってくる男はまるで女の兄のようだ。
(恋人、なのか……?)
お互いよくわかっているように見えるからきっと恋人同士なのだろう。
(まぁ、別に良いか)
早く、帰ろうと俺は、ポケットから封筒を取り出し女に差し出した。
『悪かった』
謝罪と共に渡す。
しかし、女は、封筒を見つめながら受けとる気配は見られない。
『………これ何』
『は?……治療費だけど』
あぁ、と女は、納得しながら封筒を受けとる。
『確かに』
『それは、返すけど、入院費はどうすればいい』
数日だったが入院を余儀なくされ、退院当日、既に支払いは済まされた後だった。
それをしたのは間違いなくこの二人だ。
すると二人はキョトンとしながら、『いらない』と口を揃えていった。
『いらないって………』
『別に返してもらいたくて払った訳じゃないしなぁ―』
な?桜姫と男が問いかければ女は頷く。
『これだけ返してくれればいい』
(これだけって………)
入院費と比べたらはした金のようなもので。
『…………あんた達、誰にでもそんな親切なわけ?』
親切なことを悪いとは言わない。
しかし、これは親切すぎる。
だってそうだろう?
俺達はお互い知らない。
『そんなわけないだろ?』
何言ってるんだこいつ、みたいな目で言われた。
ムカつくな。
『じゃあなんなんだよ』
ムッとしながら言えば、男は女を見る。
『え……あたしが言うわけ?』
『当たり前』
俺のボスだろ?と男は笑う。
『こんなときだけ………』
面倒そうに、女は、頭を掻きながら溜め息を一つ。
そして俺に向けた目に息を呑む。
何もかも見透かれそうな瞳だった。
『…………居場所、探してたんだろ?』
『…………、』
『制服からして、分かる。別に強制とかじゃない』
気が向いたとき、居場所が欲しいときにくればいい。
『ま、来たら日が悪かったら喧嘩してるけどな』
『…………和』
ギロリと睨む女に男が舌を出す。
(――――居場所。)
俺は、居場所が欲しかったのか?
ただ、苛々して親とも上手くいかなくて……………――――あぁ。
そうだ。確かに。
俺は、居場所を探していたんだ。
『………あんた達、名前は?』
自然にそう、言葉を紡いでいた。
ニヤリと男が口端を上げる。
『俺は、和―――んで』
『椿、だ』
『だけど、椿とは呼ぶなよ』
和は俺の肩を掴むと、耳元に顔を寄せた。
『?何故だ?』
『椿は、俺たちの要だからな』
呼ぶときは『桜姫。』だ。
通り名のようなものだと考えればいいのだろうか。
(ま、何でもいいか)
俺にはさしたる重要性を感じないから。
俺は、和に頷いて見せると、和はよし、と離れる。
『つーことで、よろしくな』
『あぁ………こちらこそ』
よろしく、と桜姫に目を向ければ、バチッと瞳が合う。
吸い込まれそうな漆黒に、俺は、魅せられそうになる。
『で?肝心なお前の名前は?』
言われて、そう言えば自己紹介してなかったなと苦笑した。
『俺は、………司だ』
ずっと和と桜姫と一緒にいた。
"皇蘭"はチーム名だと知ったのもこのときであまりにも少人数に爆笑したのを覚えている。
それから、時々喧嘩しながら、俺みたいな奴を見つけると仲間に引き込んで。
でかい"皇蘭"になった。
そこそこ有名だったし、桜姫と和のコンビは不動だった。
はずだった。
『………ず、和!』
『……あ?どうした?』
何時からだろう。
和から飄々とした笑顔が消えた。
代わりに物思いに耽るようになった。
『どうした?って元気ねぇな?』
首を傾け、様子を窺う俺に、何だ何だ?と数人集まってくる。
『どうした和さん』
『腹でも減ったのか?』
『酒か?』
口々に様子を窺う俺達に和は苦笑する。
『なんでもねーよ』
乾いた笑みを浮かべる和に、俺は不安を覚えた。
『そうか?』
『あぁ………そうだ、お前ら』
『?』
『桜姫のこと、好きか?』
和に聞かれて、キョトンとした俺たちは顔を見合わせ、強く頷く。
『『勿論!!』』
大事な俺達の総長だし!!
『………だよな』
『…………』
和がそんなことを言うなんて不思議だと思ったんだ。
(深刻な顔して………何を考えている?)
俺は、ジッと和を見つめた。
嫌な予感が、する。
毎日喧嘩して馬鹿やって、笑って。
そんな日々が、崩れてしまうような。
嫌な、予感。
その日から俺は、和、と言うよりも桜姫の近くにいるように努めた。
根拠なんかない。
本能が桜姫の側にいろという。