パパの話はいまだに我が家での禁句だった。

去年と言っても亡くなったのは年末だったから、まだ2カ月も経ってない。

倒れたと聞いてママと一緒に病院に駆け付けてから、その翌日には亡くなってしまったパパ。

心の中に疼く傷はまだ生々しくて、翔に言ってしまった後で、不覚にも涙がポロポロ零れ落ちてしまった。

「翔!出番よ!!」

撮影部屋の中から、声が聞こえた。

「今、行く!」

私も慌てて涙を拭くと、お辞儀をして部屋に戻ろうとした。

その手を翔が掴む。

驚き振り返ると、「これ、使って!」と男物のハンカチが乗せられていた。

「捨ててくれていいから。じゃ!元気出せよ」

走り去る翔にハンカチを返そうと、差し出したけど、彼は部屋の中に入ってしまった。

どうしよう、これ。

私はハンカチをじっと見た。

使わずに返そうと、さっき彼が座っていた椅子の上に置こうとした。

その時、彼がさっき書いていたらしいノートが目に入った。

「これ、数学の記号だ」

彼のノートにはぎっしりと数学の公式と解答が書かれていた。

そして、傍らには「数学2・B―大学受験数学センター対策」の本。

「翔、まさか受験するつもりなの?」

数式をざっと見て、途中、間違っていることに気付く。

急いで部屋に戻り、赤ペンを持ち出す。

余計なお世話だよね。

とっても、とっても、余計なお世話だって分かってる。

だけど、こんなに頑張っている数学のノートを私は今まで見たことが無かった。

四隅がぼろぼろで、今まで書いて来た字も何度も書き直した後も、何もかもが一生懸命だ。

こんな寒い日も、ほんの数分の時間も惜しんで頑張っている翔……。

翔が掛けていた椅子を台代わりに、床にひざまずくと、彼が書き込んだノートに細かく間違い個所の指摘と解説を入れた。

そして、「お互い受験勉強、頑張りましょう。今日はハンカチ有り難う。笑喜綾乃」と書いて、ノートを閉じた。

立ち去ろうとした時、椅子の上に置いたはずのハンカチが地面に落ちていることに気付き、慌てて、拾い上げた。

きちんと洗濯をしてから返そう。

私は、翔のハンカチをポケットにしまうと、急いで部屋に戻って行った。