雨野ルイ(アマノルイ)は、朝の満員電車の中で死にかけていた。

手すりにしがみつくようにつかまって立っているのがやっとの満員電車に、
「――キツい…」

ルイは苦しそうに呟いた後、目玉だけを動かした。

右を見ても左を見ても、人、人、人ばかりである。

高校2年生=電車通学2年目のルイ。

もうなれてもいい時期だろうが、やっぱりなれない。

いや、なれろと言う方が間違っているだろう。

そんなことを心の中でぼやいていた時、電車内にアナウンスが流れた。

(助かった!)

そう思ったのは、次で降りる駅だからだ。
(降りれば解放される!)
と、ルイは思った。

そうしている間に、電車が駅に止まった。

プシューと扉が開いた瞬間、我先にとでも言うように電車からたくさんの人が降りた。

(みんなここで降りるんかい!)

心の中でツッコミを入れた後、ルイも電車から降りた。

夜に眠って満タンだったはずの体力は、満員電車のせいで奪われた。

半分フラフラになりながら、ルイはベンチへと足を向かわせた。

ベンチのうえにカバンを置くと、乱れてしまった制服と髪を整えた。
ルイの髪は、ショートのくせっ毛の黒髪だ。

生まれは場所だけではなく、髪も選べないらしい。

そんなことを思いながら髪を整えていたら、
「おはよう」

誰かが彼女に声をかけてきた。

ルイは髪を整えていた手を止めて、声の主の方に振り返った。

「おはようございます」

声の主――教師である永田敦(ナガタアツシ)にあいさつをした。

彼はルイのクラスの担任で、生物の担当をしている。

30歳を過ぎているとは思えないくらいのかっこいい顔立ちと空手で鍛えあげられた躰つきが特徴的だ。

実際彼は空手部の顧問をしている。
彼に関する武勇伝は数知れずである。

それにしてもと、ルイは思った。

自分と同じ満員電車で通勤しているはずなのに、どうして永田のスーツは乱れていないのだろう?

今日もピシッとスーツを着こなしている彼を見ながら、ルイは疑問を抱いた。

「ずいぶんつらそうだったな」

ニヤリと笑いながら、永田が言った。

その笑みに、ルイはタジタジだ。

何しろ、永田にはSの気を感じるからだ。

そこがかっこいいと騒ぐ女子生徒もいるのだが、ルイからして見れば苦手なだけだ。
プラス、電車の中で死にかけていたところを見られていたとは…。

まさかの同じ車両…だったけど、満員だからわからなかったと言う方が正しい。

「気づいてなかった、訳じゃないよな?」

口角をあげながら、永田がルイに迫ってきた。

「いえ、そんなことは…」

ルイは両手と首を左右に振り、この場を逃れようと必死になっていた。

絶体絶命どころの問題ではないと、ルイは頭の中で思った。

「何だ、このヤロー」

「わわわっ…!」

永田の大きな手は、せっかく整えたルイの髪を乱した。

朝は本当に災難だと、ルイは心の中でぼやいた。
川上光(カワカミヒカリ)の朝は、違和感から始まる。

(躰が重たい…)

そう思いながら、光は眠っていた目を開けた。

ぼやけた視界に映ったのは、
「早く起きろ」

上に乗っている永田が言った。

優れない気分を抱えた朝食は、正直言ってあまり食べている気がしない。

それもそのはず、光は毎朝永田に乗られて起こされているのだから。

「何だ、食べないのか?」

オムレツを口に入れながら聞いてきた永田に、
「食べます!」

光は慌ててロールパンをかじった。