十年ほど前…
「ただいまー!」
あたしが外から遊んで帰ったときのこと。
玄関のドアを開けるとお母さんの苦しそうな声が聞こえてきた。
「お母さん…?」
急いで声がする部屋へ走り、部屋のドアを開けた。
見えたのはお母さんの幸せそうな顔。
そして…
知らない男と抱き合うお母さんの裸。
あたしと目が合うと、汗まみれのお母さんがこう言ったんだ。
『女は二つの顔を持った方が利口なのよ』
と…
初めてお母さんのもう一つの顔を見た夜。
あたしはベッドに潜って耳をふさいだ。
目を閉じた。
涙を流した。
お母さんの二つの顔…
『綺麗な優しいお母さん』
そして、
『体を売り物にする女』
それを知るのには幼過ぎた。
理解するには大人になるしかなかった。
毎晩のように流れていた涙はいつしか止み、耳をふさいでいた手を離す。
あたしはあの日、何も与えられないまま大人になったのだ。
それがあたしがこうなった理由。
今から思えばたいしたことない思い出。
だから別にお母さんを恨んでなんかいない。
むしろ感謝している。
今、人生を楽しむことができているのは、お母さんのおかげだから。
あの時、お母さんが言った言葉のおかげだから…
ガチャ…
玄関のドアが開く音。
小さく聞こえるお母さんと男の声。
あたしは遠ざかっていく靴の音を聞きながら、眠りに入った。
パンッ…!!
鈍く響く音。
あたしの頬がジリジリと痛む。
「人の彼氏取ってそんなに楽しいわけ!?」
昼休憩。
複数の女子に呼び出され、一瞬にして囲まれた。
目の前には泣いてる子。
たぶんこの子が彼女だろう…
そんで周りの子はその子を守るフリをして、あたしに嫌味を言いたいだけの悲しい人たち。
「学校じゃいい子ぶっちゃってさ、マジムカつく!」
次から次へと出てくる言葉は今までに何度も言われた。
全部あたしが「羨ましい」としか聞こえない。
「ちょっと!あんたもなんか言いなよ!」
そう言って泣いている子を促す。
でもその子は何も言わず、ただ泣くばかり。
こういう子、一番ムカつく…
自分の問題なのに周りに頼って、ただ泣くだけ。
だから…
「…そんなんだから男取られんだよ」
泣き声が大きくなる。
周りが慌てて慰める。
…いい気味。
「もう許さない…!」
一人が近くに落ちていた棒を拓い、あたしに近付いてきた。
そして高く棒を振り上げる。
それを見て身構えした瞬間だった。
「お前たち何してるんだ!」
目を開けると担任の先生が眉をひそめているのが見えた。
「先生!」
あたしは走って先生の腕を掴んだ。
そして泣きながらこう言う。
「あの人たちがいじめるんです!あたしの成績がいいからって…」
その後に泣き声を出せば…
「ひがんでいじめるなんてまったくお前たちは…」
簡単に信じる。
なんせあたしは優秀な生徒だから。
「違う!そいつはウソ言って…」
「黒沢がウソ言うわけないだろ!」
あの子たち、信じてもらえてないよ。
本当のこと言ってるのにね。
…おもしろ。
そんなことを思いながら悔しそうな顔を眺めていると、泣いている子と目が合った。
その子の目は赤くはれ、とてもブサイク。
あたしはニヤリと笑った。
「この…」
その子が小さく呟く。
「…ドロボウネコ!!」
そう叫ぶと泣きながらその場を去って行った。
遅れないように他の子もいなくなる。
『ドロボウネコ』
それは捨て台詞として言われる言葉であり、あたしのあだ名でもある。
最高の褒め言葉だとあたしは思っている。
「黒沢…大丈夫か?」
「あ、はい。助けていただいてありがとうございました。それじゃ…」
「あ!待って!」
帰ろうとすると、いきなり先生があたしの腕をつかんできた。
「…放課後、ちょっと職員室に来なさい」
そのとき、薬指に光るものが確かに見えた。
「…失礼します」
放課後、あたしは言われた通りに職員室へ向かった。
「おぉ、こっちだ」
呼ばれる方へと歩き出し、用意されていたイスに座る。
目の前にいるのは最近婚約したばかりの担任の先生。
担当教科は理科。
顔は普通。
成績や見た目でひいきをすることで有名で、一部の生徒からは嫌われている。
つまり、あたしにとってこの人は…
『便利な男』なのである。