カモミール・ロマンス



相手の裏をかき、キーパーの飛び出したがら空きのゴールへと向かうボール。

しかし、文字通り最後のチャンスだったペナルティーキックは無情にもゴールポストに弾かれてしまう。




必死の追い上げで力を使い果たした翔達はロスタイムに崩れ、2点を取られて負けてしまった。

悔し泣きをする翔を先輩達が背中を叩いて励ましていく。

そんな風景を羨ましそうに、どこか誇らしげに見つめている笠井の姿があったのだった。









ぽかぽかの陽気が、屋上で談笑している4人を照らしている。

昨日の雨の匂いがまだほんの少しだけ残っている様にも感じる。

「……へぇ、何かいろいろとあったんだなぁ」

翔は3人に話をした。

笠井のこと。

スタメンに選ばれたこと。

美優のこと。

「それで、その女の子とはどうなったの?まさか付き合ってるとか?」

直也の質問に翔は困った様に笑った。

「あー、これからも陰ながら応援します。サッカー頑張ってください。だって」

「え?何それ……なんか翔がフラれたみたいになってるじゃん」

「んー、なんか最初から別に告白とかではなかったみたい」

「えー、なにそれ」

不思議そうに眉をひそめる直也を見て翔が声を出して笑う。

そんな笑顔の中から少しだけ違う感情を感じ取った美咲が聞くのだった。







「ねぇ、もしかして。翔、その子のこと好きになっちゃったんじゃない?」

美咲の質問にはっとした翔。

誰もいない校門を見つめながら、ぼそりと言う。

「…………うん。そうなのかもしれない」

「そっか。なんか翔が優しい顔になったと思ったけど、そういうことだったのね」

にっ、と笑う美咲。

誰にも聞こえないくらいの声で、翔は「かなわないなぁ」とこぼした。

「えー、翔が優しい顔なのは今に始まったことじゃないじゃん」

「そうだよ。全然変わったの分かんないんだけど」

不思議そうに眉をひそめる勇気と直也。

「いいの。女の子にしか分からない違いってのあるのよ」

「「えー」」

納得のいかない2人がまじまじと翔の顔を覗き込む。

涼しい風が肌を撫で、ゆっくりと時間は過ぎていく。



大会の次の日から笠井はマネージャーとして、引退まで部に残ることになった。

翔と美優が一緒に下校することはなくなったが、サッカーを熱く語るメールは今でも続いているのだった。











「きゃーーーーっ!」



クラスメイトの悲鳴で夢の世界から戻ってきた勇気。

ノートにまで垂れていたヨダレを制服の袖で躊躇なくぬぐう。

「ふぇ、な、なに?何があったの?」

授業も中断していて、席を立った生徒達がある席に集まっていた。


勇気が人をかき分け、その中を覗くと。






「……すずめ?」







『ピヨ。チチチ』

勇気達のクラスでは珍しい大人しい女の子。

山崎 静香(やまざき しずか)の机の上では、何処からか迷い込んだすずめが可愛らしく鳴いている。

「あれ、この子ケガしてたのかな?背中に毛の無いとこがある」

「あ、ほんとだ10円ハゲみたいになってる」

すずめの背中には、なかなか大きい肌が露出してしまっている部分があった。

それを見つめていた静香がはっと驚いた表情をした。

「しーちゃん?どうしたの?」

静香は大人しくしているすずめのお腹を人差し指の背で、柔らかく撫でる。

「この子、前に私がケガの手当てしてあげた子だ」

「えー、うそ」

「マジで?それが本当だったら凄くねっ?」

静香は愛しそうにすずめを手で包むと、窓際に歩いていく。

「え、逃がしちゃうの?」

「せっかく鶴の恩返しみたいなのに勿体ないよ山崎さん」

静香は小さく首を振る。

「ケガが治ってせっかく元の世界に戻れたのに、このまま私が飼っちゃう方が勿体ないよ」

優しく開かれた手の中から、澄み切った青空に向かってすずめが羽ばたく。

『チュンチュン』

まるでお礼でも言いに来たかの様なすずめは、昼休みのクラスの話題を占領した。







澄み切った青空に、ふわふわと綿菓子の様な雲が流れる。

「しーちゃん凄いね」

食べ終わった弁当をキャラクターの袋にしまう美咲がそう呟いた。

「うん、凄いよね。僕だったらもし道にすずめがケガして苦しんでたら、家に連れていって手当てしてあげるか分かんないもん」

翔は紙パックのコーヒー牛乳を、回し飲みしている直也に手渡す。

「いや、翔ならするんじゃない?オレだったら絶対しないけど……ってか自分で言うのもなんだけど、気付かずに通り過ぎそう」

直也の言葉に翔と美咲が笑う。

そんな中で勇気だけが真剣な表情をしていた。

それに気付いた翔が聞く。

「ユキどうしたの?」

勇気は空の綿菓子に手を伸ばす。

「ん、なんかさ。山崎さんて大人しそうなのに勇気あるんだな。って思って」

「そうなのよね。しーちゃんて自分のことには消極的だけど、他人とか動物とかそういうものの為なら凄い勇気が出るのよ」






勇気はまだ手を開いたまま空を見つめていた。

「小さな偶然に、ほんのちょっとの勇気でさ……今日みたいな奇跡を呼んで、やっぱり山崎さん凄いよ」

勇気に3人が微笑む。

「そうだね。ほんのちょっとの勇気が大切だね」








放課後。

授業中居眠りをしていた勇気は職員室に呼び出されていた。

「うわ、もうこんな時間?一時間も叱られてたよ……」

職員室から教室に帰ってきて、思っていたよりも時計の針が進んでいたことに驚く。

出しっぱなしになっていた筆箱をカバンにしまって、勇気は教室を出る。

「ほんのちょっとの勇気か……」

勇気はずっと静香とすずめのことを考えていた。





校舎を出ると、サッカー部が練習している。

勇気に気付いた翔が笑いながら手を振る。

勇気は小さく手を振り返して帰路に着くのであった。






学校前のバス停には誰もいなかった。

「うわ、ただでさえ遅くなっちゃったのにバス来るのあと15分もかかるの?」

勇気は備え付けられた白いベンチに座る。

綿菓子を掴めない手はまだ開いたままだ。

「……会いたいな。会えないかな」

りんごの香りはいつまでも勇気の中で、胸をくすぐる。

虚しくなってきてため息を吐くと、バスがやってきた。