カモミール・ロマンス



「オレがいつか美咲の身長を抜かしたら、また桜の下で告白するから、そん時は嫌なんて言わないでね?

それまではオレが美咲のことを絶対に守ってやるからさ」

豪快に笑った直也の顔を美咲は忘れられない。

「何その一方的な約束?

それまでに私に彼氏が出来てたらどうするの?」

「大丈夫、大丈夫!

そういう変な虫からもオレが守るから」








2人はしばらく笑っていた。

美咲は直也の横顔を見ながら「男の子もそんなに悪くないな」と思ったのだった。


そして、そんな2人を偶然にもサッカークラブ帰りの翔が見てしまっていた。












美咲はくすっと笑った。

「何?どうしたの?」

隣を見ると10センチ以上は美咲よりも背の高くなった直也がいる。

「ううん、何でもないよ」

直也はポリポリと頭をかく。

そして桜の花を差し出しながら言うのだった。

「オレはあの時の約束を忘れてないよ。

絶対に美咲を守ってやるって」

美咲はそれを受け取ろうと手を伸ばしたが、その手が止まる。

美咲は俯いた。

直也はがしっと美咲の手を掴んで、無理矢理に桜の花を握らせた。

「何かあったらオレが守ってやるから。

だから、だから……」

直也は抱き寄せようとした手を引っ込めた。

そして美咲の横を過ぎていく。

「約束だから。オレは美咲を守るから。

絶対……絶対に」

背中越しに直也の足音が遠退いていく。

美咲は握りしめていた手を開き、鮮やかなピンクの花を見つめる。

「ゴメンねナオ。ダメなんだよ。

今回はナオに頼ったらダメなんだ……そしたら私はきっと、もっと……」

パタッと地面に涙が落ちる。

風が拭いて桜の木が揺れた。

ぶわっと舞うピンクは嫌になるほど鮮やかで、悲しくなるくらいに愛しい記憶を染めていた。









そんな美咲達を影から見ていた人がいた。

「ちょっと何なのあれ?」

「あれほど言ったのに木村くんに近づいちゃって」

「まじキモい」

3人の女生徒が美咲を睨む様に見ていた。

「あんな子が木村くん達と仲が良いなんて許せない」

「口で言ってダメなんだったら、ほら、ねぇ?」

「身体で心で分からせてあげましょっか、ね?」

3人は笑った。

最後に憎しみとでさえも表現できそうなくらいに、厳しい視線を美咲に向けて。










桜が散り、肌寒かった風が柔らかくなりつつある頃。

勇気はいつも通りにバス停でバスが来るのを待っていた。

その隣に翔の姿はない。

「遅いなぁ翔のやつ。

遅刻するんだったら連絡くらいよこせよなぁ」

決して車通りの激しい道ではないけれど、朝は通勤ラッシュで車がびゅんびゅんと行き交う。

晴れ渡る今日の空みたいに青い車が通り過ぎていき、勇気はそれが見えなくなるまで目で追い掛けた。



勇気が沙織に気持ちを伝えてから早くも5ヶ月が過ぎようとしていた。











バンドの演奏が止み、辺りが静寂に包まれた。

勇気は握りこぶしをつくり、息を吸った。


「オレ…………




沙織ちゃんのこと好きだよ」


まるで勇気の、振り絞った勇気に対する声援の様に、バンドの演奏に対する拍手が巻き起こる。

沙織はただ勇気を見つめていた。

勇気もまた目をそらさずに沙織のことだけを見つめている。


「嬉しい……ありがとうユキくん」


勇気の位置からでは見えなかったが、沙織の目にはうっすらと涙が溜まっていた。


「あ、えっと……

だから、その。


もし良かったらオレと……」

勇気は少しだけ視線を下に向けて頭をかいた。

たった一言を伝えるのがこんなにも難しいなんて、実際に告白をしてみなければ感じることはないだろう。

自分が好きな人に好きと伝えて、恋人という関係になってくださいと言う。

無駄なようにも思えてしまう一連の流れすら大事にと。そう思えるのは幸せなことなのかもしれない。

「あのねユキくん。
私まだ自分の気持ちが分からないんだ。

今は勉強が凄く忙しいし、きっとそう言う関係になれてもユキくんを寂しくさせちゃうと思うの。

だから……ごめんなさい」








深く頭を下げた沙織。

勇気はドシンと胸に何かを落とされた様にさえ感じた。

すぐに笑顔を取り繕い言う。

「そっか、そうだよね。

いや、良いんだよ本当。ただ何て言うか……

オレの気持ちを沙織ちゃんに知って欲しかっただけだからさ。はは」

沙織は、小さな声でもう一度だけ「ごめんなさい」と頭を下げる。

勇気は時計なんか見てもいないのに言う。

「そ、そろそろバスが来ちゃうんじゃない?

今日は来てくれてありがとう」

沙織は顔を上げて、こくりと頷く。

「今日は本当に楽しかったよ。

その……ユキくんの気持ちにはまだ応えてあげられないけど、凄く嬉しかった」

沙織は手を振って香代が待つバス停へと去っていく。

振っていた手はいつの間にか、下に降りていた。

勇気はただ見つめるのだった。

りんごの香りと長い黒髪が揺れているのを。









気が付くとバスがもう目の先にある信号の所にまで来ていた。


「ユキー、ユキーっ!」

遠くから声がして勇気が振り返ると翔が走ってきていた。

バスがバス停に停まる。

「ユキ、止めて。バス止めてーっ」

手を振りながら走り、そう叫ぶ翔。

勇気はバスの後ろに座って、笑らいながらバスから翔に手を振った。

翔は残りの50メートルを全力で駆け抜ける。

勇気が何か伝えたわけではないが、運転手は停まってくれていたらしい。

翔が乗るのを待ってからドアを閉め、バスを発車させた。

翔は息を切らしながら勇気の座る最後部に座る。

「よっ、おはよ」

勇気が揺れている翔の肩を叩き、笑顔でそう言う。

翔は少し血走っている目で勇気に振り向く。

「ユキぃー、何で止めてくれなかったの!?

ってか何で悠長に手なんか振っちゃってるの!?ねぇ!?

…………ユキ?」

翔は突然に外に身を乗り出した勇気を見る。

その視線の先には2人の女子高生がいた。

「なに女の子なんか見ちゃってるのさ?」

気に食わないような翔の言い方。

勇気は観念したかのように言う。

「沙織ちゃん……久しぶりに見れた」









翔は鼻から息を吐いて、眉をひそめながら微笑んだ。

「ずるいなぁ……

そんなこと言われた後じゃ怒れないじゃん」

「え、翔?

あれ?なんかゴメン」

「…………。

いーよ」

翔は俯いて手の平を見つめていた。

握って、開いて、握って。

相手の幸せを願って、また握って。


「ユキなら僕は手を開いていても大丈夫だと思ってるから」

「へ?なんの話?」

翔は笑いながら目を瞑った。

勇気が翔を揺さ振る。

「なあ翔、なんの話?

なぁ?なぁ?なあ?」

バスが揺れ、スクールバッグも一緒にゆれていた。

その中でマナーモードにされた携帯がメールが届いたことを告げるのだった。










昼休み屋上。


もう3人だけの昼食にも慣れてきていた。

「え、今度美術館行ってくるの?

沙織さんと2人で?」

「会いたい」と送ったメール。

その返事に勇気はうかれ気味。

「なんか今度、駅前の美術館で有名な日本人画家の展覧会があるみたいで。

それに、良かったら一緒に行かないか?って」

勇気のカレーパンは袋を開けられたまま、口をつけられないでいる。

「それってデートだよね?やったじゃんユキ」

翔は素直に、勇気のことを喜んだ。

そんな翔に勇気の胸が温かくなる。

「でもさ……

美術なんてユキ分かるの?

美術の成績2じゃん」

桜ノ宮附属の成績は10段階評価で数字が大きいほどに優秀。

つまり、そういうことである。

「教科書のモナリザを見た感想が、マツコ・デトックスも痩せたらこんくらい綺麗になるかな?だったっけ?」

毒舌コメンテーターを引き合いに出しての美術の感想とは、先生もビックリである。