「カフェオレとタルトが欲しいわ」
美咲が意地悪そうに言う。
直也はメモに注文を書く。
「かしこまりましたお嬢様。食後には軽い運動をなさらないと、お太りになってしまいます。
お気をつけください」
直也はそう言い捨ててキッチンへと向かった。
「お嬢様に喧嘩売る執事ってありなの?
……はぁ」
美咲はふとあの手紙を思い出してしまった。
誰からかも分からない手紙。
分かるのは、あの手紙を送ってきた人は美咲のことを良く思ってはいないと言うこと。
「きっとその子も今日は桜宮祭を楽しんでいるんだろうなぁ……
なんだかなぁ」
美咲は真っ白なテーブルクロスに顔を埋める。
新品の匂いがした。
「…………
おやおや、お嬢様はオネムの時間の様でございますので、このタルトは私が頂いてしまいましょうかね」
いつの間にか美咲の向かいに座っていた直也。
タルトをさっくりとフォークですくう。
「お嬢様のおやつを失敬する執事ってどうなの?ねぇ?」
美咲は口に運ぼうとしていた直也の腕をがしっと掴み、阻止する。
「私はお嬢様のお身体を心配して……」
「うっさい、カロリー計算してちゃんと食べてるわ!」
直也は、男の大盛くらいの量をいつも食べておいてカロリー計算も減ったくれもあったもんか。
と口にするのをどうにかこらえた。
ゆっくりとフォークの向きを変え、美咲の口に運ぶ。
「「「ざわっ」」」
直也の行動に一瞬店内が騒めいた。
「え、あんなサービスもしてもらえるんですか?」
「え、あ、いや。ああいったサービスはしていないんですが、その……
な、直也ちょっと来い」
孝則が直也に詰め寄る。
直也は鼻で息を一つついて、ゆっくりと立ち上がった。
「皆心配してる。抱えきれない荷物なら隠すなよ、オレ達はいつでも持ってやる準備はできてるんだから」
直也は孝則に連れられて奥へと消えていった。
美咲はカフェオレに口もつけぬまま、タルトもほとんどを残して、そそくさと喫茶店を後にした。
桜ノ宮付属への最寄りのバス停に本日七本目のバスが到着した。
「ね、ねぇ。文化祭って私服じゃなくて良かったのかな?
私達だけ制服だったりしたら目立っちゃったりして」
バス停の時刻表の端っこにわずかに写る自分を見ながら、小柄女の子が髪の毛をしきりに気にしている。
「もー、そんなの良いから早く行こうよ。
終わっちゃったらどうするの?」
もう一人の黒髪の背の高い女の子は何故だか急いでいる様で、しきりに携帯を開いた。
「文化祭は4時までって連絡あったんでしょ?
愛しのあの人に早く会いたいのは分かるけど、私まで焦らせないでよ、沙織」
「そ、そんなんじゃないよー。香代のバカぁ」
沙織はぷくぅっと右の頬だけを膨らませた。
「でもま、私も沙織も他校の文化祭デビューなわけだし?
張り切って行きますか!」
「って、あれ?なんか私よりヤル気満々?
ま、待ってよ香代ぉ」
こうして制服に身を包んだ2人が桜ノ宮付属へと足を踏み入れるのだった。
沙織達が校門を抜ける。
昼過ぎとあってか、そこらを歩く人達の手には焼きそばやフランクフルトが握られている。
「へーっ、結構活気あるもんなんだねぇ。
流石は共学って感じ?」
香代はキョロキョロと辺りを見渡す。
「……んで。
やっぱり制服はあたしらだけか……」
そう言って笑った。
「今度学校の皆にも「文化祭行く時は私服で良い」って教えてあげなきゃだね」
「いやー、あたしら以外に男子がいる文化祭に行く人いないでしょ、あの学校」
そう言って2人で笑った。
「ユキ君との待ち合わせまで少しだけあるし、何か食べる?」
焼きそばの香ばしい匂い。
フランクフルトやチョコバナナは歩きながらでも食べやすい。
懐かしのミルク煎餅なんかも良いかもしれない。
「そうだなー。私まだお昼食べてないしなぁ。
そだ、焼きそばにしよう」
香代がそう言って「ねっ?」と確認するので、沙織はにこっと頷いた。
勇気は沙織に焼きそばの屋台を出していることを伝えなかったが、偶然にも沙織は勇気達のブースを訪れる。
「いらっしゃいませー」
翔が元気良く新しい客2人を迎え入れる。
「すいません、焼きそばください。
あ、紅しょうが抜きの青のりたっぷりで」
「はーい。紅しょうが抜きの青のりたっぷりですね。
そちらのお客様はどうします?」
トッピングの注文まで堂々とする香代。
沙織は少しだけ緊張してしまっているようだ。
「えっと……じゃあ私は量を少しだけ減らしてもらえますか?」
「すいません、小盛りでも値段は普通と一緒になっちゃうんですけど、大丈夫ですか?」
「あ、はい」
同世代の男の子に接客されて緊張していた沙織。
注文をしただけだけれど、そっと胸を撫で下ろしていた。
「はい、こちらおつりお返ししますね。今焼いているんで、少々お待ちください」
翔の接客は完璧に近かった。
それも家の店番なんかをしていた経験が生かされているようだ。
昼過ぎでピークは過ぎていたので、沙織達の焼きそばが出来るまでの間に新しい客は入らなかった。
その間に翔が2人に話し掛ける。
「それって山女の制服ですよね?」
「へっ?……さんじょ?」
ワッペンに書かれた旧書体の『山』の文字を指しながら翔がそう言った。
「あ、略したら分からないのか。
山田川女学院の生徒さんですよね?」
「あ、はい。そうです」
「……えっ、なに?山田川女学院の子が来てるの!?
って、うわっ!マジじゃんか!」
翔達の会話を聞き付けて奥から男子生徒が覗き込んできた。
「山女の子が他校の文化祭に来るなんて珍しくね?」
「ってかお嬢様学校だもんな。山女の文化祭とか関係者しか入れないし」
男子生徒のはしゃぎっぷりを見て香代が笑った。
「……なんか、山田川女学院ってだけで人気者になっちゃったね」
「に、人気者なのかな?これ。
ただ珍しがられているだけなんじゃ……」
温かい陽射しと、ソースの匂い。
活気あふれる賑わいの中で、沙織の緊張は少しずつほぐれていくのだった。
それからほどなくしてトイレから勇気が帰ってきた。
「ただいまー。お客さん来た?」
勇気は鉄板のはじに残っていたパリパリになった焼きそばをつまむ。
接客を交替してジュースで一息ついていた翔がそれに気付いた。
「あーユキまたつまみ食いして。委員長に怒られるよ?」
「怒られるって言ったって、委員長は担任と消えたっきりじゃんよ」
テントの脇に折り畳んであった椅子を引っ張りだし、勇気は翔の横に座る。
「……あ、そういえば沙織さんとの待ち合わせそろそろじゃない?
さっき山女の子達が来てたから、もう着いてる頃かもよ」
「え、さんじょ?」
「あーゴメン。ユキに言った僕がバカだった。
沙織さんと同じ学校の子達が来てたんだよ、ついさっきね」
「……そっか」
勇気は表情も変えずにそう言った。
緊張はしていると思う。
けれど舞い上がっているわけでもなさそうで、翔はくすっと笑った。
「楽しみだけど不安もいっぱいだね」
翔は笑顔でそう言った。
「うん、そうなんだよ」
「そっか……楽しいね」
「うん……そうだな」
「ユキ、はい」
いつの間にか現れた執事姿の直也が何かを勇気に手渡す。
「何これ……ってチョコバナナ?」
その白いタッパーにはチョコバナナが二本入っていた。
「奢りだから、2人で美味しく食べてきなさい」
直也はそう言って胸の前でピースサインをしてみせた。
勇気は直也の優しさに胸が温かくなるのを感じていた。
「ありがとうナオ。翔も、オレ頑張ってくる!」
勇気は握りこぶしを作って、2人にアピールすると、屋台から消えていった。
直也はさっきまで勇気が座っていた椅子に座る。
「放送部の喫茶店お疲れ様。執事姿似合ってるよ」
「ふぁ、疲れた。オレには接客なんて向いてないのに……」
とかなんとか言いながらイケメンを揃えた放送部(活動はほとんどと言って良いほどしていない)の売り上げは、今回の文化祭で最高の売り上げとなった。
「さて、あっちは上手くいくのかな?」
「さぁね……」
翔と直也は勇気が消えていった校舎脇の道を見つめる。
「…………さて。
じゃあ僕もサッカー部の大喜利大会に行ってこようかな。ちょっと不安だけど」
そう肩をすくめる翔。
直也は小さく言う。
「翔は普段通りにしてれば笑いとれるよ」
「…………。
……どういう意味かな?」
校門の脇の桜の木の下。
そこを待ち合わせにしたのは、桜ノ宮付属に伝わる淡い言い伝えがあったからだった。
極ありきたりなものである。
校門脇の大桜の下で告白した2人は結ばれる。
何処の学校にでもありそうなそんな言い伝えを信じることで、ちょびっとでも不安が安らげば良いと勇気はそう思っていた。
「さ、沙織ちゃん。お待たせ」
しかし思うようにはいかないもので、勇気の心臓はバクバクと格好悪く鳴る。
塀に寄りかかるようにして桜の木を見ていた沙織が振り向く。
「ユキ君こんにちは。桜ノ宮の文化祭は賑わってて楽しいね」
「あ、うん……こんにちは」
笑顔一つで心が弾んだ。
その一声で胸がまたトクンと動く。
あと一歩を縮めるだけで、一杯の勇気が必要で。
勇気はふと、恋って難しいな。と思うのだった。
「少しどっか回ってみたりした?」
「ううん、友達と一緒にお昼食べただけ。
なんだか私には賑やか過ぎちゃって……香代は、あ、友達は1人で校舎内を見てくるっていってたよ」
勇気は少しずつ歩み寄り、隣に立つ。
花もなく葉も散った桜の木がどーんとたっているだけ。