カモミール・ロマンス





ピロリロリー♪ピロリロリー♪……


初期設定そのままの着信音が翔の部屋に鳴り響く。

熱が下がった後のぼーっとした頭をどうにか持ち上げ、電話に出る。

「もしもじ……」

「もしもし山田先輩ですか?」

「えっ……美優ちゃん?」

電話越しの声は初めてで、翔は耳がこそばゆくて、無意識に鼻をかいた。

「サッカー部の森くんに聞いたんですけど、風邪ひいてるんですか?

電話とか迷惑かなと思ったんですけど、心配で……」

「ありがとう、すごい嬉しい」

不謹慎なのは分かっていた。

でも家族の言葉より、友達のメールより、ただ好きな子が心配してくれているただそれだけが何よりも嬉しかった。

夏風邪なんて決して楽しいものではなくて、しんどいし食事もできなくて辛かった。

だけど美優からの連絡が来るきっかけになったことに、少しだけ感謝する翔。


「まだ体しんどいですか?」

遠慮ぎみの小さな声。

「ううん、もう大分良くなってきたよ。

美優ちゃんの声聞けたからかな……なんちゃって、はは」

冗談の様に言ってみたが美優からの反応は無かった。




しばらく2人は携帯を耳に当てているだけで、言葉を交わさなかった。

「んっ、ごほっごほ……」

翔の咳で沈黙が破れて、美優が話しだす。

「あの、風邪で大変な時に誘うのもあれなんですけど……

うちの兄が8月14日のフェルディ戦のチケットを取ってくれて、もし良かったら山田先輩と一緒に行きたいな、と思って」

突然だったからではない。

ただ嬉しくて、嬉しすぎて、翔は返事をすぐに返せなかった。

夢なんかじゃありませんように。そう何度も何度も胸の奥で願って。

喜びを噛み締めて、ようやく一言、絞りだす。

「……うん、是非」







翌々日。

翔はマスクをしながら登校した。

「翔もう大丈夫なの?夏風邪ってしつこいって聞くわよ?」

まだ少し咳がでる翔を心配する美咲。

「熱はすぐに下がったし大丈夫だよ。まだ喉の痛みがあるけどね。

それより今日のテストが心配で心配で」

オーラルコミュニケーションの教科書を眉をひそめて見ながら言う翔。

「大丈夫大丈夫。ほら、あそこにも死んでるやついるから」

そう言って美咲が指差した先では、やはりオーラルコミュニケーションの教科書を手にうずくまっている勇気。

「ユキ、翔が風邪ひいてる間にとうとうあの子の名前聞き出せたらしいよ。

翔もうかうかしていらんないね」

少し意地悪く言った美咲。

翔は勇気を見ると、優しく笑った。

「そっか良かった……」

小さく呟き、美咲を見て言う。

「でも僕だってうかうかしているわけじゃないんだからね」

「えっ、それって……何よぉ何があったのよ翔ぉ」


問い詰める美咲との間にわざとらしく教科書を滑り込ませる。

一番奥の窓だけが開いていて、そこからちょっぴり暖かな風が吹き込む。

「くすっ……」

美咲は翔と勇気を見て笑った。

「え、なに?」

「ううん。翔もユキもまるで夏風が便りでも運んできたみたいに、窓の外を見たから」

柔らかく微笑んで美咲は自分の席に座る。

「夏風の便りか……確かにそうかもね。

僕の場合は夏風邪だったけどね」






「ふぁーあ」









ザザーン。。。。







ザザーン。。。。






「くぁあ」





目の前の視界いっぱいに広がる青い海。

そんな見晴らしの中であくびをする直也。

「ちょっと、どうなってんのよ?なんで海は目の前にあるのにたどり着かないわけ?」

夏の日差しで額に流れる汗がキラキラと光っている。

現在気温35℃。

麦わら帽子をかぶり日焼け止めを塗りたくった美咲だったが、心なしか赤くなっている。

「さっきから民家にばかり行き着いて、一向に海との距離が近づいていないよね……」

真っ白のシャツが汗で肌にくっついてしまっている翔が、気持ち悪いのだろう何度も自分のシャツを引っ張る。

勇気はもう20分は前に上着を脱ぎ、タンクトップ一枚になっていた。

「あれ?この家の看板見たことあるような……ないような……

……だぁぁぁっ、分からん!!」

頭を抱えて絶叫する勇気。


それもそのはず。

勇気達が最寄りの駅から海を目指してもうすぐ2時間が経過しようとしていたのだから。







それは終業式でのこと。


通知表をある程度の仲間と見せ合った後、何気なくプールを見ながら勇気の言った一言が始まりだった。


「もうすぐ夏休みだ。夏休みと言えば一夏の経験だ。

一夏の経験といえば海だ。


そうだ、海へ行こう」


よく分からない方程式と、あまり有名でないローカルCMのフレーズを真似てドヤ顔で言い放った勇気。

1学期を乗り切った疲れからか、それとも安堵からなのか突っ込みはない。



「あー……海か。そういえば去年も行きたい行きたいって言ったけど、結局行かなかったよね」

「そーね。私は行っても良いけど、あんた達補講とか大丈夫なの?」

美咲の一言に目を見合せて、目をパチクリする勇気と翔。

「……海といえば水着だよな。翔一緒に買いにいこうよ」

「そうだね、今度の日曜は部活も無いしいこうか」

全く美咲と目を合わせようとしない2人。

どうやらある二文字を意識から消しているようだ。

「あんたらねぇ、現実逃避してないで現実見なさいよ。

結局、幾つ補講あったのよ?」

美咲の言葉に目を見合せて、にへらと笑う勇気と翔。

そしてゆっくりと美咲を見る。

「オレ、3教科」

「僕は休んだ分の再試も含めて8教科」




「うん、まずはそれ消化してから海とか言おうか」

優しい美咲の口調に(見たくなかった現実を見てしまって?)涙が出てしまった勇気と翔なのだった。







で、どうにかこうにか補講や再試を乗り切った勇気と翔。

補講をクリアしてから1週間が経った頃に、勇気から3人にメールが届いた。



件名:そうだ、海へ行こう

登校日の次の週の月曜とかどう
っていうか何があっても空けといてな

兄貴から聞いた穴場スポットがあるからそこに行こう
駅近でロケーション抜群、知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない場所だってさ

ユキ』


メールなのに打っている時の上がり切ったテンションまでが伝わってくる。

何より有無を言わさぬその文章に3人は笑った。

『んー、考えとく( ̄〜 ̄)ξ

直也』

直也の「考えとく」は「了解」とほぼ同じ意味である。

『メールなのにテンション高すぎてビックリしたわ

海いいわねその日はバイト休むから任せて

美咲』

美咲は意外と絵文字をよく使う。

女の子同士でのメールのやりとりではハートマークなんかも多用するらしい。


『補講お疲れ様

分かったその日は部活休むようにするね

海楽しみ

翔』


こうして4人は、揃ってでは初めての海へと出かけることになったのだった。






地元の駅から2つ先の駅で快速に乗り換え、揺られること30分。

そこからまた鈍行で15分ほど揺られた頃に海が視界に広がってくる。

だんだんと大きく、だんだんと青くなっていく海を見ながら進んでいくと、その駅にたどり着く。

閑散とした小さな駅。

ホームには小さな待合室と4人掛けくらいのベンチが2つ背中合わせにあるだけ。

それでも車両から降りた瞬間に磯の匂いが鼻を刺激して、なんだか胸がソワソワとする。

暑い日差しの中に流れる、冷たい潮風。


4人はゆっくりと歩いていく。








とある港町。

防波堤と停泊する小型の船。

絶え間なく聞こえる波の音。

裏打ちをするかのようなカモメの自由な鳴き声と、どこからともなく聞こえるラジオの音。


山の麓の駅から続く、海へと下る坂の中。

隣接する住宅の迷路。

行けども行けどもあるのは民家と袋小路だけ。

「ねぇ、本当に海に繋がってるの?この道」

「ていうかこの家さっきも来なかったっけ?」

聞こえる波の音は延々とリピートされ、単調なリズムで4人を包み込んでいる。

「繋がってないなんてことあり得ないだろ?

全ての道がローマに繋がってるなら、この道だって海に繋がっているに決まってる!!」

「ってかここまで来たら意地でも海に入らなきゃ、やってらんないよね」

珍しく先頭を歩いていく直也。

勇気がそれにすぐに続いて、美咲と翔が顔を見合せてからついていく。

熱い日差し、なま暖かい風の運ぶ磯の香。

どこからともなく聞こえるラジオの音。

ゆっくりと昇っていく太陽がこの日一番高い場所から照らしていた。








ザザーーーン。


ザザーーーン。



青い水面を駆け抜け、沖に白く光る波。


「や……やっと着いたぁーーー!!」

汗でびしょびしょになってしまったシャツを脱ぎ捨て、一目散に砂浜を走る。

美咲以外は服の下に水着を着込んでいて準備万端。

「ひゃっほーい」

「海だー」

「ふぁ……暑ぃ」


男3人は海に向かってまっしぐら。

「私は着替えてから行くからねー」

美咲の声に振り向きもせずに、背中越しに手を振って3人は了解の合図を送った。

ザッザッ。と裸足で砂を撒き散らしながら、陽射しに向かって走る。

「僕が一番乗りだ!」

「さーせるかぁ!」

真っ先に海に飛び込もうとした翔の肩を掴み、砂浜に倒す勇気。

「はっはっは一番乗りはこのオレだぁ!」

「……まだまだぁ!」

翔を倒して走っていこうとした勇気の足を翔が掴む。

「くっ、こしゃくな」

「ふふふ一番乗りは誰にも渡さないよ。例えユキであってもね」


2人がなんだかよくわからないB級ドラマを演じ始めた時だった。

「おーい、何してんの?早く来れば?」

1人気持ちよさそうに海に浸かる直也が2人に手を振っていた。

「あ、そういう感じね」

「うん、そういう感じみたいだね」

2人は顔を見合せ砂だらけになったお互いの顔を見て笑った。

「ナオ1人だけズルーい」

「そうだ、オレ達も入らせろー!」



水飛沫の音が辺りに響き渡った。