「……知らん」
ぼそりと勇気がこぼした。
美咲も翔も見事にその言葉を聞き逃したようだ。
「「え?」」
そして改めて、それを言わなければならなくなった勇気がため息を吐いて、乱暴に言い放つ。
「だから、誰だかなんて知らないんだよ!」
翔も美咲も目をパチクリさせて、勇気のことを見つめていた。
「なんなのよそれ?じゃああんたなんで恋して……」
その言葉を言う度に、ほんのちょっと胸の奥がこそばゆくなっていく。
「……いや、それはその」
勇気は目を逸らしながら、頭をぼりぼりと掻く。
「どうゆうこと?ユキ」
翔までもが真剣に聞くもんだから、言葉を濁すこともできなかったのだろう。
観念した勇気が口を開いた。
「……りんご」
急に出てきた単語に二人はぽかん、と勇気を見つめる。
勇気は二人から目を逸らしたままに続けるのだった。
「今朝、バス停で待ってたら、急にりんごみたいな香りがして」
翔は勇気と一緒に来たので、その場に居合わせたはずだった。
しかし翔の記憶にはそんな香りはなかった。
「それで振り返ったんだけど、女の子……後ろ姿で……黒い長い髪の……その」
喋っていて恥ずかしくなってきてしまったのだろう。
勇気は窓の方を向いたまま机に腕を枕にして、顔を伏せた。
「はぁ?なにそれ?」
美咲が大声でそう言った。
本当に理解できない。といった表情だ。
眉間にしわをよせている。
「ユキ本当にその子のこと好きになっちゃったの?顔すら見てないのに?」
「…………」
翔の質問の答えを、勇気は必死で探していた。
瞳のどこか端っこの方で、風に揺れる黒い髪を思い出し。
鼻腔のつんと奥の方で、あの香りを思い出しながら勇気が言う。
「分かんねぇよオレだって。でも……あれからずっと、変なんだよオレ」
腕で顔は隠れていたけど、翔には勇気が耳を赤くしているのが見えた。
それに声のトーンから、勇気の気持ちが分かって。
「うん、そっか」
そう一言だけ言って翔は笑った。
「えー、ちょっとあんた達なんで納得してんの?」
まだ分からない美咲は少しだけ置いておいて、翔と勇気は窓から空を眺めた。
羊みたいにふわふわした雲が、水色の空をゆっくりと。
ゆっくりと渡っていた。
「ああ、春だねぇ」
「うー、春ですなぁ」
ぽかぽか陽気に照らされて、陽なたぼっこをしている翔と直也と勇気と美咲。
じじくさい台詞を言っている翔と直也。
強い日ざしに目を細めている勇気。
そして美咲は
「ねぇ、美咲さっきから何してんの?」
直也がだるそうな声で聞く。
「んー、ちょっとね」
そう言いながら真剣に小さな厚紙を重ねている。
「……お札?」
「え、お札ってキョンシーに付いてるアレ?」
勇気と翔のボケにもツッコミが入ることはなく、温かな日差しと熱い視線が美咲に注がれている。
「な、何よ?さっきから」
視線が気になって美咲が手を止めた。
「いや、だから何を作ってんのかなー?って」
「かなー?って」
よくよく覗き込んでみると、ただの厚紙ではないようだ。
「なんか綺麗な紙だね」
翔が美咲の手にしていた色紙を見ながらそう言った。
桜の様にきらびやかな桃色ではなく、梅の花の様なほんのりとした桃色。
「そんな小さいので何つくんの?」
勇気が尋ねるが美咲は何故だか恥ずかしがって答えようとしない。
「うるさいわね、あんたたち。何でも良いじゃない」
美咲がはぐらかそうとするけれど、ついにあの男が動き出した。
眠りのコ〇ローならぬ眠りの直也。
「美咲が必要で、手のひらサイズ、綺麗な色紙に……」
直也は美咲のポケットから透明なシールがはみ出ていたことを見逃さなかった。
「なるほど……栞ね」
ドキッ。
身体をビクッと震わせた美咲。
だんだんと顔が赤くなっていく。
「はぁ?栞って。お前そんな女の子じゃあるまいし」
「何ですって!?」
勇気をポカポカと殴る美咲。
「でも、それだけだとちょっぴり味気ないよね」
淡い桃色がグラデーションになっている色紙。
それだけでも良いけれど、確かにもう一つパッとしない。
「うーん、そう。そうなのよねぇ……」
美咲は色紙を少しだけうらめしそうにパタパタと振った。
「そうだ!」
パッと笑顔を見せる勇気。
少年の様な満面の笑みで言う。
「押し花とか良いんじゃないか?」
おお!っと感心する3人。
「押し花かぁ、可愛いだろうなぁ」
美咲はもう押し花に異論は無い様で、まだ見ぬ栞を想像してうっとりとしている。
「よし、じゃあ今日の放課後みんなで河川敷に行こう」
「「「さんせーい!」」」
こうして4人は放課後に河川敷で押し花に出来そうなものを探しにいくことになりました。
そして放課後。
授業が終わると4人はすぐに帰る支度を済ませ、翔の机に集まっていた。
「よし、じゃあ今からお宝探しに行きますか!」
「うん……ってか、あれ?翔は部活じゃないん?」
3人はすっかり忘れていたけれど、サッカー部は毎日練習があったはず。
「え、だってこっちの方が面白いじゃん。」
あっけらかんと言った翔。
(そりゃ弱いはずだよサッカー部……)
3人になま暖かい眼差しで見つめられる翔だった。
「ま、とりあえず行ってみますか」
直也があくびをしながらそう言うと、お互いを見て意志疎通。
全員でにっと笑うとスクールバッグを担いで、教室を後にした。
学校を出て右手、大通りを横切ってずっと真っ直ぐ。
看板が傾いている写真屋さんの十字路を曲がって、後はひたすら道沿いに行くだけ。
「しっかし無駄に良い天気だな」
さんさんと輝く太陽を見ながら勇気がぼそり。
「本当だね。日本の景気もこのくらい晴れやかなら良いのにね」
なんて大して興味もないくせに、翔が景気のことを口にする。
「いや、日本が晴れやかなのは政治家のおっさんの頭だけだから」
だるそうに言うのはもちろん直也で、美咲はそんな3人の後ろをついて歩いていた。
皆なんだかんだ言いながら歩くペースは美咲に合わせている。
誰が言い出したわけでもないけれど、いつの間にか自然とそうなっていた。
「あ、出た、斜め看板」
「もう、これはもはや芸術の域だよね」
「うん。なんかもう、粋だよね。ここまでくると」
斜め45度。
いや50度くらいに傾いたカメラ屋の看板を、翔が同じくらい身体を傾けながら見ていた。
それを見て笑う美咲の歩調も心なしか軽い。
街の中心を渡る大和川。
広いって言うほど川幅があるわけでもない。
速いって言うほど流れが急なわけでもなく、いつでも数匹の鳥が悠々と泳いでいる様なそんな川。
河川敷には歩道が整備されていて、点々と木製の丸太のベンチが設置されている。
「さぁ、探すぞぉ!」
真っ先に河川敷へと下っていったのは勇気だった。
「あ、ちょっと待ちなさいよ」
次いで美咲が階段を掛け降りて、翔がゆっくりと降りていく。
「ナオ、早く早く」
一番下まで降りた翔が振り返って、まだ階段の上でぼーっとしている直也を呼んだ。
のろのろと階段を降りる直也を待って翔達も勇気と美咲のいる場所へと向かう。
「綺麗な緑だなぁ。」
特に整備されているわけではなく、自然とのびのびと育った河川敷の緑。
勇気と美咲はその中でしゃがみこみ、一心不乱に綺麗な花を探していた。