10年、私は感情の表し方がわからなくなっていた。
結局私は、あれから母と二人きりで生活をしている。母は始めのうちは、その時の恐怖でガタガタと体を震わせて、彼の葬式にも出ずに家に引きこもっていた。
だが、警察やマスコミがこの騒動から目を向けなくなる頃には元の生活のリズムを取り戻しつつあった。
醜い母だとは思わない。
童顔で癖のある髪や小柄の所なんかは可愛らしく、私と似ている部分なんてどこにもなかった。とっくに私は彼女の背を超えて、私はいつの間にか彼女の母になったかのように世話をしていた。


私は赤く長い髪を揺らして、歩く。
私は同年代の子と比べて背が高く、上から眺める世界がまるで己のいる世界には到底思えなかった。