夕餉の後、お茶を飲みながら、椿は地下の池で感じたことを、詳しく李漢に話した。
李漢は口を挟まず、時折頷きながら聞いていた。
椿が話し終えると、李漢はぽつりと呟いた。

「ケイン=テテオに行ったか」
「ケイン=テテオ?」
「あの池のことだよ。古い言葉で、<神々の泉>という意味だそうだ。
俺もあの場所は苦手でね、なるべく近づかないようにしているのさ」
「こわい、というよりもとても気味が悪かった。
でもシュナは何も感じていないようでした」

李漢は大きく頷いて答えた。

「それは、この国と俺たちの故郷は“死”という概念に対する考え方が違うからさ。
泰では“死”は汚らわしいものだろう?
アショ人はそんなふうに考えない。“死”は神聖で、神の側に行ける最高に幸せなことなんだ」

椿はしばらく考え込んでから口を開いた。

「それではなぜ生きているのですか?
私はここに来るまで生きているのは苦痛ばかりだと思っていた。もし、私が死にそういう概念を持っていたら、私は自ら死を選ぶ」
「それは不思議なところだな。
いいかい、アショ人はこの世は一つ大きなの輪のように繋がっていると考えているんだ。自分が死ぬと水底に沈められ、大地の潤いとなって、それが子孫の繁栄を促す。やがて自分は雲となり雨となり人間となり、時には麦となって永遠に命を繰り返す。再生と自己犠牲がこの国の信仰の根底にあるんだ。
自ら命を絶つことは与えられた運命を自ら放棄するということだ。二度と生命の輪には戻れない」

真剣に考え込んでいるツバキを見て、李漢は笑い出した。

「難しく考えることはない。
たとえばこのお茶だが、お前は初めは驚いていただろう?
アショでは乳茶だ。山羊の乳を鍋で煮詰めてそこに茶葉を入れるのさ。でも泰国じゃ、お茶はお湯で沸かすものだ。
毎朝食べている麦飯も、この国では食べない。麦は粉にしたり、乾燥させたりしてナムや粥にして食べる。俺は生まれも育ちも泰だから、米飯が食べたくてね。でもアショじゃ米は育たない。それで代わりに麦飯を炊いているのさ。
国や地域でこんなに食うもんが違うんだ。考え方や信仰にもいろいろあるんだよ。そこに住んでいる人々が長い歴史の中でこの世や人間のあり方を知ろうとして考え出したんだ。大事なのはそれを馬鹿にしないことだよ」