椿は肩に、ぽん、と手を置かれて我に返った。
いつのまにか、シュナが側に立っていた。

「帰ろう。リカンさん、待ってる」

シュナは椿の冷たく冷えた手をとった。
椿は抵抗しなかった。
シュナのおだやかな声と温かな手のひらは、椿を安心させた。


     *


 この二月の間、村の子供たちの中で、このシュナだけは、椿に話しかけてきた。
初めは早朝に鍛練をする椿を遠巻きに眺めていたのだが、いつの間にか、すぐそばでにこにこと笑いながら椿を見つめるようになっていた。
椿はそれを咎めもしなかったし、喜びもしなかった。
存在に気づいても、視線を向けることはなかったし、シュナも椿に話しかけはしなかった。
いつの間にか、彼は椿の眺める風景の一部になっていた。
李漢と、夕刻に時折李漢の元を訪れるソンニを除けば、それは彼女の視界に紛れ込む、唯一の人間であった。

 その関係が変わったのはいつからであっただろうか。
ただの風景でしかなかった人間は、いつしか闇の中をさ迷う心に、そっと寄り添う存在になっていた。
けして彼女を無理に闇から引きずり出そうとはしないシュナの優しさが、椿には心地よかった。


     *


 初めてシュナが椿に話しかけてきたのは、手製の縄標で早朝の鍛練をしていた時であった。
油断したつもりはけしてなかったが、返ってきた縄標を避けきれず、椿は腕に浅い傷をつけてしまった。

自分自身を傷つけるのは、初めてではなかった。
衣を捲れば、塞がって傷跡となった線が、椿の身体の、至るところに見られる。

浅いとはいえ、腕は直ぐに血塗れになり、指先から滴っていた。
椿は素早く止血し、当て布をした。
再び鍛練を再会しようとしていると、駆け寄ってきたシュナが、椿の腕をつかんで、傷を見た。
そして、顔をあげて、強張った表情で椿を見つめた。