味方であること、イコール肯定だと思ってた。

だけど違ったんだね。


味方であることは、信じること。


本人が今居る場所から肯定によって
拾い上げて救うことが愛なんじゃない。


今居る場所がどんなところでも、
そこに立つ彼自身を受け入れること。

そして、私も自分で歩いて居場所を作るように、

彼が自分で歩くことが大事、

それを私は応援する、たまには叱咤なんかもしたりして。


稜佑の優しさも未熟なところも

良いところもダメなところもひっくるめて、

それでも彼が好き。


これが私の愛。


肯定とか否定とかそういうのじゃない、

私は稜佑が好きで、

一緒に居たいって気持ちが大事で、

助けなくちゃいけない、とかそういう義務めいた

不自然な感情はいらなかったんだわ。