「そっか。なら、良かった」


お兄ちゃんは満足そうに微笑むと、再び参考書に目を落とした。





ピリリリリリ、と突然電子音がリビングに鳴り響いた。


「あら、あたしだわ」


お母さんが椅子から立ち上がり、ソファに置いてある鞄の中から携帯を取り出して画面を見た。

「げ…ソフィー…」

お母さんは“やらかした”顔をして舌をペロッと出して笑った。

「…紀子(のりこ)、もしかしてちゃんと言わなかったの…?」

お父さんが珍しくお母さんを名前呼びしている。

いや、ふたりきりの生活を送るうえで“お父さん”、“お母さん”という呼称が必要なかったからかもしれない。

「それ、国際電話になるんだよね」

お兄ちゃんが追い討ちをかけるように、参考書から顔を上げずに言った。

「…早く出なさい」

お父さんは苦笑いで、携帯を持ってオロオロしているお母さんを促した。

お母さんは決心したように深く息を吐くと、ボタンを押して携帯を耳に当てた。


「ソフィー…?あの、ごめんなさいね。……いえ、そうじゃなくて…、」

電話口から怒鳴られるんじゃないかと予想していたけど、案外落ち着いたやり取りを交わしている。

ていうか、

「日本語?」

「うん。今お母さんが話してる人は、片言だけど日本語が喋れるオーストリア人でね。向こうでお父さんたちふたりを何かと助けてくれる、親切な人なんだよ。」

お父さんが味噌汁を流し込んで言った。

「ふーん…」


「それを仇で返した、と」

「違うわよっ」

お兄ちゃんがすかさず横槍を入れると、お母さんもすぐに反駁した。