─侵食─悪魔のような男


「行くな…」



喉まででかかった言葉を呑み込んで、正也はお弁当を持ち最高の笑顔を見せた。



「弁当ありがとな!じゃ行ってきます」



「はいっ…行ってらっしゃい」



ユウリもまた満面の笑みを浮かべて正也を見送った。



「最後になるかなこの弁当も…」



車の助手席に乗せられたお弁当を横目に、正也は寂しげに微笑んでハンドルを握った。



遠ざかるユウリの姿をミラー越しに感じ、「元気でな…」とぽつりと呟いた。

真理子もまた同じ様に思っていた。



もしかしたら出て行く気ではないのかと…



ユウリが考えて出した答えなら何も言うまい。



黙って送りだしてやるのが一番だから。



真理子はいつも通りユウリに家の事を任せると、畑へと出掛けていった。



「真理子さんありがとう…」



ユウリは真理子の気持ちが嬉しかった。



真理子は家を出る前に、そっとユウリを抱き締めていた。

「真理子さん?」



「元気でた?ちょっと疲れた顔してた」



「大丈夫です…ありがとうございます」



「そう?ならいいけどっ」



そんな会話が最後だった。



真理子の母親のような温かさは、ユウリの心も温かくしてくれた。



「お世話になりました…ありがとう」



遠ざかる真理子の背中にそう言って見送った。



冷たい風が、ユウリの頬を撫でるように吹き抜けていくが、涙は乾いてはくれなかった。

全ての用事を済ませると、ユウリは用意しておいた手紙をリビングのテーブルに置いた。



荷物を持ち鍵をポストに入れると、深々と頭を下げた。



「ありがとうございました…」



涙でぼやける景色、それでも必死に目に焼き付ける。



思い出を辿り景色を見てまわり湖に来ていた。



静かに時間は流れていく…ユウリのお気に入りの場所。



そっと目を閉じ、2人と過ごした日々を思い出す。



ゆっくりと過ぎていく時間…優しさ…温かさ…全て忘れられない。



涙は溢れ止まらなかった。

「ふぅっ…うっ…」



涙を拭った時だった、パキッと小枝を踏む音が聞こえた。



「………つっ?!」



振り返ろうとしたユウリは、後ろから抱き締められていた。



この感触…香り…何も言わなくても解る。



「…劉兒」



「正解…随分と探したよ…お前は悪い子猫だ…お仕置きしなくちゃいけないなぁ」



「おっお仕置き…?」



「そっ…お仕置き…俺のモノになるって言ったのに逃げ出した…許せないな」



ユウリは低く威圧的な劉兒の声に小さく震えていた。

でもここで引いてはだめだ。



「劉兒はあたしなんていらないでしょ?他にもいるじゃない…」



「はぁー…あれは俺が悪かったよ…お前にヤキモチ妬かせたかっただけなんだ…」



「でも他の女とヤってたのには変わりない…あたしだって許せないよ!」



「…っ…どうしたら帰ってきてくれる?」



劉兒はいつになく弱気な言い方だった。



まさか、ユウリが言い返してくるなんて思わなかったから。



「全部調べたんでしょ?」


「あぁ…全部調べたよ…お前の親友もその家族も…親戚も何もかもな」



「悪いのはあたしだから…誰にも何もしないでっ」



ユウリは思っていた、劉兒なら何かしかねない。



先手を打っておかなければ…



「いやだと言ったら?」



「帰らない…何が何でも!」



ばっと腕をほどいて劉兒から離れた。



「ユウリ!」



「こないで!!…ちゃんと約束して」



冷たい湖に、今にも飛び込みそうなユウリに劉兒は焦っていた。



「くそっ…わかった!わかったよっ誰にも何もしねー!早くこっち来い!!」

「本当に?」



「本当にだ!俺を信じろ」



じっとユウリを見つめてじりじりと近寄る。



「こないで!」



「他にもあるのか?何だ言ってみろよ」



「学校に戻りたいの…」



「はっ?駄目だあの女には二度と会わせねー」



「咲のことね…あたしが頼んだの!彼女は悪くないわ」



「駄目だ…あの女は許さねーお前がなんて言っても駄目なものは駄目だ…」



「じゃあ帰らない!絶対に帰らないからっ」

なんて強情なんだ?!こんな状況下だが、劉兒はユウリの新たな一面が見れ嬉しかった。



「はぁー…お前には負けたよ…わかった何とかしてやる…だから一緒に帰ろう」



「駄目よ…あたしはあのマンションには帰らないわ」



「言うと思った…別のマンションを用意してるから…だからおいでユウリ」



劉兒は万が一の為に新しいマンションを用意していた。



用意しといて良かったぜ…



ほっと胸をなで下ろし、ユウリに手を伸ばす。



本当に言うことを聞いてくれるだろうか…



半信半疑のままユウリは劉兒の手をとった。