「管制官長、空港長からお電話です」

 チューリヒ国際空港、管制塔。電話を取っていた1人の男性職員が、そう言って内線の『官長席』ボタンを押す。

「空港長からだと……?」

 コーヒーマシンの傍で紙コップに入れたコーヒーを飲んでいた管制官長は、怪訝な表情を浮かべ、官長席に向かった。

 普段、空港長などからここへ電話がかかってくることは無い。ひょっとすると緊急事態か、などと、半ば冗談で彼は考えた。

 少なくとも、その時は冗談交じりであった。

 机に紙コップを置いて席に就くと、即座に電話へと手を伸ばす。

「クリスです」

 兎角、どのような話が飛び出るかわからない。普段から低めの彼の声は、さらにもう少し低くなった。

「クリス君、悪いが穏やかに前振りを話している時間は無い」

 電話の向こうからいきなり飛び出て来た厳しい口調に、思わず度肝を抜かれる。

 空港長と言えば、普段は温和な老人として知られる人格者である。

 まさか、私の首が飛ぶわけではあるまいな――嫌でも、また無いとわかっていてもそのような不安が脳裏をよぎる。

「実は先ほど、性質の悪いクラッカーが空港にハッキングを仕掛けよってな。その後外部から、これまた悪質なメールを送りつけて来よった」

「ウイルスメール、ですか?」

「いいや、普通のメールだ」

 クリスは立派な口ひげを指でなで、訳がわからないという表情を浮かべた。

 クラッカーと言うのは、広く一般で『ハッカー』と呼ばれる者達のことである。厳密にはハッカーと言うのは比較的善良な技術者を指し、クラッカーは悪意を持って行なう者のことを言う。

 彼らは稚拙な自意識を持ち、技術も下等な者が多いが、生粋のセキュリティで警備された空港のハッキングに成功するとなるとその線は消える。

 しかし、そのような大事を起こしてメール通信と言うのは、一体どうしたことか。