チューリヒ国際空港、2階ロビー。絶えず行きかう人々を上目遣いで眺めながら、若い男が男子トイレの前の壁によっかかっていた。

「グラスゴー国際空港行き、エアバス・287号便、間もなくご搭乗手続きを開始いたします」

 馴染み深い効果音に続いて、頭上のスピーカーからアナウンスが流れる。

 男は黒い腕時計を確認した。その額に、うっすらと汗が浮かぶ。

 デシタルの腕時計が発明されてから1000年を越える時が経っても、モダンなアナログの人気は下火にならない。彼のようなファッションに気を使う人間がいる限り、不滅のアイテムだろう。

 細かに時を刻む秒針が12を指し、時刻はAM8:54となった。

 それを見た男は、瞬時に男性用トイレへと入っていく。同時に、左側一番奥の個室からやはりスーツ姿の男がドアを開け、こちらの出口へと向かってきた。

 その男とすれ違い、彼は迷わず左側の一番奥の個室へと向かう。

 ドアを開ける手袋をはめた手が、かすかに震えるのを自覚してそれを開けた。中に入り鍵をかけると、ふうと息を吐いてふたの閉まった便器にへたり込む。

 彫りの深い青い眼のそばを汗がつたう。気づかないうちに、胸の鼓動が高鳴っていた。