食後のドリンクを飲んでいると、彼の携帯が鳴った。
彼は電話に出ると、箸袋に内ポケットから出したペンでメモを取りはじめた。
仕事を優先するオンと女を優先するオフの切り替えが上手い人間は素敵だと思う。
彼は顔の前に手の平を立て、私に謝るジェスチャーをした。

仕事口調で話す彼の声も良い。もし、同じ会社で働く先輩だったら…、取引先の会社の営業だったら…、もっと昔からお互い会っていたら、


付き合えてたのかな?


不躾な質問は出来ない。
タイムマシーンでもなければ叶わない関係だと割り切っているのだから。これで幸せだと分かっている。

「ごめんね、もう数件かけるね」
一旦電話を切った彼は、また電話をかけた。

次の相手は、会社の同僚か先輩か、口調が柔らかくなった。
「今ですか?パスタ食べてます。女みたいですか」
男性一人でパスタはおかしいのか、相手に突っ込まれている。
彼の口から何人か名前が上がる。社内の人間の名前か。

彼は、私を真奈と呼ぶ。最初は苗字の仁科で呼ばれたが、いつのまにか下の名前。恥ずかしがっていたのも、ほんの少しで今では普通のこと。
それに比べて私は彼を苗字で呼ぶ。距離感がどうだとかではなく、彼の下の名前は呼びにくい。タダフミ…漢字は知らない。音でしか聞いたことがないから。

彼の手から離れたペンと簡易メモと奪い落書きをしてやった。小さな猫がパスタを頬張り、幸せそうにハートを飛ばしている姿。

私にはタイムマシーンなんてないから、未来に私がいるしかない。
彼がまたこのメモを見たら、私を思い出して欲しい。
違う店で箸袋を見たときにでも、違う誰かとパスタを食べた時にでも。

小さな猫のように、彼のどこかに爪痕を残しておきたい。いつか消えてしまわないように、彼の記憶の中に。