車に戻っても彼は一向に車を動かさない。私は乗ってすぐシートベルトをしたのに。
「行かないの?」
そう聞くと、彼は頷いた。
「なら、シートベルト外す」

彼は地図を開き、私の家のあたりを見る。
「真奈は、この小学校に通ったの?」
家の近くに、保育園から中学校まである。指を差して説明する。
「高校は?」
彼の膝に乗った地図のページをめくり、探す。こうやって彼の横にいる時間が好き。
「隣の駅に行って、それから乗り換えして…」
「結構遠いね」
彼は笑う。
5歳しか離れてないのに、どうして今さら出会ったんだろう。もっと近くに住んでたら、出会えたのかな。

「あ…電話」
彼はまた仕事の電話を取った。今度はノートにメモを取り、一つ一つ仕事を潰して行く。ノートの使い方でわかる。仕事の管理も上手いんだ。

「字汚いから、見られると恥ずかしいな」
電話を終えると、彼はノートに手を乗せた。
「沢辺さんが書くカタカナ好きかも」
そう言うと、彼は照れた。

「さて、駅まで送るかな」
私は頷いて、シートベルトを着ける。
「4時に事務所に戻って、事務処理して、5時半から6時には上がるよ、真奈は待てる?」
犬じゃないんだから…
「帰るって言ったじゃん、私」
「本当に帰るの?」
私は黙って頷いた。
「俺は駆け引きとか出来ないし、しないからね」
そう、彼は車を走らせた。


駅で降りると、彼はまた連絡すると言って笑う。
車から離れてから、彼にメールを送った。
『死んじゃえば良いのに』
私の最悪な抵抗。

しばらくすると彼から電話が来た。
『何、あれ?』
ちょっと声のトーンがいつもと違う。
怒ってるのかな?
「ごめんなさい…」
『うん』

「待ってて良い?」
そう尋ねると、彼はいつもの優しい声でいいよと答えた。