GPFは大介が日本男子初の優勝。美優が四連覇を成し遂げた。
この時点で美優と大介が五輪代表に内定。
女子の枠は残り二つ。そして男子は一つとなった。
残りの枠は最終選考会である全日本選手権で決定する。
朝飛はというと、全日本ジュニアで二位以下を大きく引き離し圧勝。全日本選手権の出場権を獲得。
その頃には母さんも無事退院して、いつも通りの生活が戻っていた。
あれだけの大きな手術の後だというのに、すぐに美優の五輪用衣装の制作に取り掛かる母さんは、職人の鑑であろう。
俺はというと、みっちり練習三昧の毎日だった。
中国大会の欠場は正直痛手ではあったが、おかげで新プロの滑りこみが出来たことはプラス面だ。
ブレードの扱いもマスターした。四回転の精度も昨シーズンと同等かそれ以上にまで磨きがかかった。
衣装の方も、母さん曰く全日本までには間に合うらしい。