自分の物差しを使わなければ、容赦なく切り捨てる。
ではどうすればいい? どうすれば自分の物差しを理解してもらえる?
悲しいけど、俺には無理だ。
自分の物差しを他人に理解してもらえないから、母さんと祖父母には埋まれない溝が生まれたんだ。
だったら理解してもらおうとは思わない。
代わりに社会という物差しを使えばいい。
社会の物差しは絶対的だ。
例え間違っていようと、社会の物差しが黒と言えば白い物も黒になる。
だから五輪に出る。
五輪に出場して、社会的に認められて、五輪選手を育てた親という肩書を両親に送り、祖父母の物差しが如何に短くて絶対ではないことをわからせてやる。
嗚呼、なんとも子供な発想だ。それをこの歳でしかも本気で実行している俺は、厨ニ病というやつなんだろう。