「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
殴っても殴っても、お互い一歩も退かず。
聡と心花は顔中腫らして片膝をついている。
聡は口元から血を流し、心花は目尻を切って出血していた。
「お前…はぁっ…普通女をここまで殴るかぁ?」
呼吸を乱しながら悪態をつく心花。
「うるせぇ…俺をここまでボコボコにしといて…はぁっ、はぁっ…女ぶってんじゃねぇよ」
聡は心花の女らしからぬ喧嘩の強さに、内心感服していた。
いい女だし、腕っぷしも強い。
こいつはそのうち、美原市で名を売るようになるだろう。
「神威心花だったか?…てめぇ覚えとけよ」
ヨロヨロと立ち上がる聡。
「そのうち絶対決着つけてやっからな…」
「面白ぇ」
ニッと笑って、心花も立ち上がる。
「返り討ちにしてやるよ…」
互いに相手を飽きるほど殴っておきながら、不思議と恨みはなかった。
思えばこの頃からだった。
聡と心花に奇妙な友情が芽生えたのは…。
遠のく意識が、一時的に戻る。
「う…あ…」
血塗れで横たわったまま、聡は何とか這いずろうとする。
「まだ…心花との約束も…果たしてなかったっけな…」
そう。
今度こそ俺が勝つんだ。
美原市で一等強ぇのは俺に決まっている。
秀一でも心花でもなく、俺が一番強いんだ。
だから、俺がみんなを守らないと…。
「待ってろ…心花…今…お前んとこ行って…」
僅かに戻った意識が、再び闇に閉ざされ始める。
「あん時の…続き…を…」
ブレーカーが落ちるように、聡の視界が暗転する。
仲間の事を、心花との約束を最期まで案じつつ。
彼もまた、屍の招く手からは逃れる事はできなかった…。
華鈴は理子に憧れていた。
理子は、「入学式の日に華鈴が声をかけてくれなかったら、私は学園生活を送れていない」なんて言っているけど。
本当はあの日、理子に近づきたかったのは華鈴の方なのだ。
勉強も出来て、陸上部でもエース級の活躍をして、可愛くて、ショートカットが似合ってて。
華鈴から見れば、理子は何もかも兼ね備えたアイドルみたいな存在だった。
そんな女の子に華鈴もなりたかった。
だから近づきたい一心で、華鈴は一人でいた理子に声をかけたのだ。
自分には何もない。
理子みたいに二物も三物も持っていない。
そんな自分が万能な理子に近づくには、ピエロみたいにおどけるしかないと思った。
いつも明るくて誰とでも打ち解ける人懐っこい華鈴の素顔は、コンプレックスの塊みたいな内向的な少女だった。
理子はすぐに華鈴と仲良くなった。
少し変わり者と思われがちな華鈴のオカルト好きな面も、理子は笑って受け入れてくれた。
唯一の華鈴の得意分野。
それを理子みたいな女の子に受け入れてもらえた事が嬉しかった。
それだけに…。
『どうせ興味本位で見に行きたいだけでしょ?いい加減にしてよ、オカルト好きも程々にして!』
(あの一言はきつかったなぁ…)
華鈴は苦笑いする。
今、彼女は臨海公園の前に一人立っている。
普段は静かな公園で、ジョギング目的の人や、小さな子供を連れた家族などが訪れる。
美原市民の憩いの場だった。
と、ポケットの中で携帯が鳴る。
「もしもし?」
華鈴が電話に出ると。
『もしもし、華鈴っ?』
少し切羽詰まった様子の理子の声が聞こえた。
「あー理子?どした?」
『どしたじゃないよぉ!華鈴今どこにいるの?』
「理子は?学校?」
『学校もゾンビだらけだったの!でも偶然居合わせた小野さんに助けてもらって…』
小野さん…あの看護師さんか。
あの人なら手当とかもできるし安心かな。
「理子が無事だったならいいや」
心からの言葉を呟く華鈴。
『華鈴!華鈴はどこいるの?』
「んー?臨海公園。これからね、ちょっとゾンビ発生の原因を突き止めようと思って」
『駄目よ!一人で危ない事しないで!私達も今すぐそっち行くから、華鈴はそこで…』
理子が言い終わらないうちに、華鈴は通話を切った。
…理子はやっぱりすごいね。
ゾンビだらけになった学校からも生還するなんて。
流石スーパー女子高生!
それに比べて私なんて、オカルトな噂話しか取り得のない平凡な女子高生だよ。
…顔を上げる華鈴。
質のいい天パの彼女の髪が、潮風に吹かれてなびいた。
「私だって何か役に立たないと」
仲間達は、みんなそれぞれ特技を生かして生き残る為に、仲間の為に頑張ってる。
陰島からの生還者としてリーダーシップを発揮した秀一さん、看護師の技能を生かした小野さん、理子だって陸上部エースとしての実力を遺憾なく発揮したに違いない。
じゃあ、私は…?
そう考えて、華鈴はポケットの中の取材ノートを取り出す。
私の特技っていったら、これしかないじゃない。
今までこの美原市で仕入れたオカルトな情報を書き留めた取材ノート。
この中の情報に、現在の異常事態の謎を解く情報もきっとある筈。
ある程度目星はつけている。
何日か前に、臨海公園に死体が上がったというニュースが流れた。
すぐに警察が現場検証したらしいが、不思議な事にそれ以降この事件の続報は流れない。
普通ならば警察の鑑識が何かを発見したり、司法解剖に回されて死因を特定したりするものだが…。
何か一般市民には明かせない情報があったのか。
それとも華鈴が予想もしなかったような何かが起きたのか。
とにかく彼女は、この死体が上がったというニュースが現在の異常事態と関係していると睨んでいた。
木の幹に隠れ、背中越しに公園内を注意深く観察する。
…やはりここもゾンビが徘徊する危険地帯と化していた。
手入れの行き届いた芝生の広場を、血で汚れた着衣のまま行き交う屍達。
平和な公園に似つかわしくない光景に、華鈴は自分が今も夢でも見ているのではないかと錯覚する。
学校帰りに理子とここに立ち寄って、二人で買い食いしながら暗くなるまでお喋りしていた事を思い出す。
あの公園と同一の場所だとは、今もって信じられなかった。
昨日までの…いや、今朝までの日常はもう存在しない。
華鈴達の美原市は、異空間とも言える非日常に姿を変えてしまったのだ。