綾華は、相変わらずベッドの上に座っている。しかし、もう涙を流してはいなかった。
横で遠慮がちに昼食を片付けている看護士には目もくれず、ただ焦点の合わない目で窓の外を見つめている。
昨晩泣きはらしたのだろうか……綾華の目が赤く腫れていた。
「何かあったら、すぐに呼んでくださいね」
看護士は気遣わしげにそう言うと、病室の入り口に立つ弘樹の横を通り過ぎて出て行った。
その時、看護士が運んでいた皿に冷えきった昼食が手もつけられずに残っているのが見えた。
看護士が扉を閉め、足音が完全に聞こえなくなった後、弘樹は静かに綾華に歩み寄る。そして、衝撃の光景に目を疑った。
……綾華が微笑んでいる。
「綾華?」
驚きを隠せない弘樹をよそに、綾華はベッドの隣にある小棚の引き出しから果物ナイフを取り出した。
弘樹が見舞いに来る度に果物を切っていた、あのナイフ。弘樹が死んだあの日も、変色したリンゴと一緒に置かれていた。
「……まさか」
弘樹の頭に嫌な考えがよぎった。
弘樹の予想通り、綾華は両手でしっかり握ったナイフを自分の喉に向ける。
「やめろ!」
弘樹は綾華の手からナイフを払い落とそうとした。しかし、弘樹の手は虚しく空を切っただけだった。
――触れられない!
その事実を受け、弘樹は室内を見渡しながら叫んだ。
「キズナ! 近くにいるんだろ!? 助けてくれ! 綾華が……綾華を止めてくれ!!」
しかし、弘樹の声に反応するものはない。声は虚しく室内に反響しただけだった。
「……弘樹」
綾華の声に、弘樹が素早く振り返った。
「私もすぐに行くから……待ってて……」
天井を見つめ、独り言のように言う綾華の頬には涙が光っていた。ナイフはもう、綾華の喉から数㎝ほどしか離れていない。
「やめてくれ!!」
弘樹が絶叫した。何とか……何とか止めなくては。
綾華の喉から赤い血が一筋流れたとき、ドアをノックする音が聞こえた。その音に飛び上がった綾華は、咄嗟にナイフを布団の下に隠す。
開いた扉の先にいた人物を見て、弘樹は思わず叫んだ。