「あなたも悪霊になりたくなければ、天に向かうべきよ」


「綾華を置いていけないんだ。俺のせいで、傷ついて……苦しんでる」


弘樹が涙をこらえながら、弱々しい声で呟いた。キズナは、そんな弘樹から目を逸らし、静かに話し始める。


「そうね、彼女は苦しんでるわ。……でも、今のあなたに何が出来る? 彼女に声も届かない、触れることも出来ない、姿を見せることさえも」


キズナの容赦ない言葉が弘樹の心に突き刺さる。……しかし、これは紛れも無い事実。言い返すことなど、到底出来なかった。


「言ったはずよ? 生きている人間のために、霊が出来る事なんて何もないの」


キズナから放たれるとどめの一言を受けた弘樹は、何も言わずにふらふらと中庭に向かって歩き出した。


中庭には大きな木が中央のそびえ立ち、その周りを四つのベンチが囲んでいる。綺麗に手入れされた芝生が風を受け、そよめいていた。


ここは、コンクリート詰めのこの病院にある、唯一の緑あふれる庭園なのだ。


「何も出来ない……か」


弘樹は中央に生えている大木の下に腰掛け、空を見上げた。その木の葉が太陽の光を透かし、キラキラ輝いて見える。



――綾華の泣く姿が、頭から離れない……。



綾華を悲しませているのは他でもない、自分だ。


それなのに、そんな彼女をただ見ていることしかできない。涙を拭うことも慰めることも出来ずに……。


自分の無力さに無性に腹が立った。


確かに、自分に出来ることは何もないかもしれない。


しかし、だからといって……彼女を見捨て、天に向かえというのか? 天に還り、自分だけ救われろと?


「そんなことは、絶対出来ない」


弘樹がそう呟いた時にはすでに日は落ち、群青の空が広がっていた。




翌日の正午過ぎ、弘樹は再び綾華の病室の前にいた。……が、入ることをためらっていた。


昨日の綾華の泣き顔を思い出すと、どうしても部屋に入るのが怖かったのだ。


しかし、ここで突っ立っていてもどうにもならない。……そう結論を出した弘樹は、目を閉じて心を鎮めた後、そっと部屋の中に入っていった。