「あ、ママ!」


癒芽が嬉しそうに母親の傍へ駆け寄る。しかし、母親は癒芽には全く見向きもせず、抱いていた男の子をソファーに降ろした。


その姿を見て、癒芽は少し悲しそうな顔をした。が、キズナの方を振り返って紹介した。


「死神さん! 癒芽のママだよ! パパは、まだお仕事みたい……。それで、この子が悠斗! まだ一歳になったばかりなの」


癒芽が、ソファーの上で自分の手をもてあそんでいる男の子を指して言った。


男の子は、癒芽と同じく色素の薄い茶髪で、目の形や口元までよく似ている。そして……彼も、キズナや癒芽に気付いている様子はない。


「やっぱり、この家族に霊感はない……か。花を届けるのはちょっと厄介ね」


キズナがボソッと呟いた。


しかし、癒芽はキズナの呟きに全く気付かず、夕ご飯の支度を始めようとする母親を嬉しそうに見つめている。


「癒芽、あなたが花を届けたい相手はわかったわ。後は花を摘みに行くだけ。さっきの野原に戻りましょう」


癒芽は、しばらく愛おしそうに母親の後ろ姿を見ていたが、ようやく目を離し、力強く頷いた。




家を出た二人は、野原に戻るためにもと来た道を歩いていく。


住宅街に入った時、キズナと癒芽の十五メートルほど先に、大きな桜の木が一本立っているのが目に入った。


その木は、大きな家が立ち並ぶこの風景に、どうも溶け込めていない。


それを見たキズナは、何となくその木に見覚えがある気がした。


もちろん、桜ならどこにでも生えているのだから当然のことだろう。しかし、この桜には……なぜか懐かしさに近いものを感じる。


桜との距離があと七メートルほどに縮まった時、ふと桜の木の下に一つの影が見えた。誰かがこっちを見ながら立っている。


キズナがその人物をよく見ようと目を細めた次の瞬間、その影は跡形もなく姿を消したのだ。


桜の木の下には誰もいない。その周りにも人がいた気配はない。


キズナは不審に思い、ひどく顔をしかめる。しかし、癒芽やツキが無反応なのを見て、見間違いだろうと自分を納得させ、桜の前を通り過ぎていった。