あんなに悲しそうな恭を見たのは初めてだった。恭は……いつも笑っていたから。
ここに来る前に、何かあったのだろうか。
「そういえば……恭、おばさんと喧嘩したって言ってたね。いつもはあんなに仲良いのに珍しくない?」
蒼依が思い出したように尋ねながら、むくりと起き上がった。その話題になった途端、恭の眉がぴくっと痙攣する。
「あー……ちょっと進路の事でもめたんだ」
言葉を濁らせる恭に、蒼依が首を傾げた。恭は力無い微笑みを向けながら、ゆっくり話し出す。
「俺の父親、蒼依のおばさんが働いてる病院の院長してるだろ?母さん、俺が病院を継ぐもんだって思い込んでるみたいでさ。バスケなんかで遊んでないで真剣に勉強しろって」
苦々しく言い放つ恭を見て、蒼依は思わず視線を落とした。何となくだか、恭の中に自分と同じ闇を見つけた気がしたのだ。
……『勉強』という名の重圧。
未来の自分のためにあらゆる知識が必要だという事は嫌でもわかる。親も先生も…皆が口を揃えていうのは「将来のために今を頑張りなさい」という言葉。
しかし……"将来"のために"今の全て"を犠牲にするのは、本当に正しい事なのだろうか。
「俺は何度も言ったんだ。バスケを辞めるつもりはないし、自分の将来は自分で決めるって。けど、聞く耳持たなくてさ」
悩みを吐き出すようにため息をつく恭に、蒼依が少しためらいがちに問いかけた。
「病院、継がないの?」
「継ぐ気なんてねぇよ。俺の人生は俺のもんだ」
恭は暗い表情で短く答えた後、脇に転がるバスケットボールに目をやった。
「母さんにとっては、バスケなんて単なる『お遊び』かもしれない。でも、俺にとっては本当に大切なものなんだ。俺は……母さんを満足させるための操り人形じゃない」
遠い目をしながら呟く恭に、蒼依が不思議そうな顔を向ける。それに気付いた恭が急いで顔を逸らし、立ち上がりながら大きく伸びをした。
「……さ、そろそろ戻るか!早く寝ないと、明日起きられねぇしな。桐生が怒るぞー!」
恭は何事もなかったかのように明るい笑顔を向け、ボールを抱えながら自宅へと歩いて行ってしまった。