「蒼依?」


遥香が周りを見渡すが、蒼依の姿はどこにも見当たらない。残っているのは、地面に転がっている学生鞄だけだった。


忽然と姿を消してしまった蒼依。それは、"いなくなった"というよりも、むしろ……


「消えた……?」


遥香は腰を抜かしたように崩れ落ち、蒼依が消えた場所を蒼白な顔で眺めることしか出来なかった。


――どうしよう。一体どうなってるの?人が消えるなんて。


どう行動すべきか全く考えられない遥香は、とにかく助けを呼ぼうと立ち上がり、震える手で携帯電話を操作した。


「誰か…誰か助けて……」


五十音順に並べられている電話帳を開くと、携帯の画面に一番に映ったのは安西の名前と電話番号だった。遥香は迷わずその電話番号を選択し、通話ボタンを押す。


『もしもし、遥香さん?』


電話の向こうから、不思議そうな声が聞こえた。


「安西くん!? あの……」


遥香が急いで状況を説明しようとした時、遥香の耳にふと悪魔の囁きが聞こえた。


"蒼依がいなければ、もう悩む理由などない。母として頑張る必要もなく、あるがままの自分でいられる"


胸に立ち込めていた黒い霧が晴れ、心が軽くなるのを感じた。


『遥香さん?』


「あ、えっと……ごめんなさい。何でもないの」


『本当ですか?何かあったんじゃ……?』


「ううん、大丈夫!本当に何もないの。じゃあ、また明日」


遥香は切った携帯電話をしばらく見つめた後、地面に落ちている蒼依の学生鞄に目をやった。


――これでいい。これで、私は自由になれる。何からも縛られず、一からやり直せるんだ。


遥香の顔に自然と笑みが広がる。そんな遥香に、ある人物が明るく声をかけてきた。


「あれ?おばさん、こんばんは!何やってるんすか?」


「恭くん」


そこには、ジャージ姿の恭が立っていた。部活帰りのようで、体を動かし終えた後の爽やかな顔付きをしている。