さみしくなるね。
 クラタさんが窓の外を見ながらつぶやいた。
 唐突だった。唐突だったためにわたしの反応は少し遅れた。なにそれ。わたしが聞くと視線が一瞬わたしを捕らえ、空をさまよった。だって、冬が来るじゃない。そしてまた自分の世界に入る。
 緑深かった景色が陽を反射する黄金に変わり、今はそれがかすみ、もの悲しいものへと移っている。あとすこしで季節は冬へと変わる。それは幾度となく繰り返されていることだ。
 クラタさんはいつもの場所で景色を見ていた。一心に、無表情に。けど、その表情はいつもと違う気がした。

 わたしとクラタさんの付き合いはたいそう長い、といえるようなものではなく、たまたま同じときに同じ場所に居合わせることが多かったからなんとなく続いているもので、たぶん、五年くらいの付き合いになるのだろう。たぶん、というのはクラタさん風に言うなら“自分以外の人間として認識”したのがいつになるのかお互いに定かではないからだ。
 ただ、初めて交した言葉は覚えている。なにが見えるの、と言うわたしの問いに対して、クラタさんは外。と端的な言葉を返したのだ。あのときもいつもの場所で外を見ていた。

 クラタさんは情緒が豊かなほうではない。
 前に長年飼ってきたという「ぽち」という犬が死んだとき、クラタさんは黙々とお墓をつくっていた。だいじょうぶ、と問うわたしには答えず、ただ黙々と冷たく、深い穴を掘っていた。クラタさんは腕くらいの深さになったその穴に「ぽち」を入れ、黙々と土をかけたのだった。そのときわたしはクラタさんが悲しんでいるのだとばかり思っていたのだが、後に聞くと、穴を掘って埋めたかっただけ、と答えたのだ。悲しくなかったの、と聞くと、しょうのないことでしょ。と変わらない表情で答えたのだった。
 クラタさんは景色の移り変わりに感情を動かすような人ではない。いつだったか、なんでいつも外を見ているの、と聞いたときも、ただ、なんとなく。とクラタさんは答えたのだ。
 けれどクラタさんは言ったのだ。さみしくなるね、と。わたしはクラタさんから“さみしい”などと聞いたことがなかった。