イオリの店から、道を挟んで斜め向かいに存在している、理髪店。
その店が理髪店であることを知る者はあまり存在しない。
店主の気まぐれで店の営業が決まるため、開いている時もあれば、閉まっている時もあり、1年を通して開いていない日にちのほうが多いのではないか、という疑惑さえある。
機会が合わなければ、いつ訪れてもシャッターが閉められている、などという状態になってしまうため、今となってはその理髪店に興味を示すものもあまり居ないのである。
そんな気まぐれな理髪店が、今日は珍しく開いており、おまけにお客が一人、髪を整えにやって来ていた。
銀色のさらりとした髪をかきあげた客の男は、高く通った鼻筋のおかげで調度良く鼻の下の方で固定された丸い小ぶりのメガネを、つい、と指で直す。
そうして天井の隅に張られたクモの巣をちらと見て、眉をひそめた。
「まったく、こんな汚い理髪店、滅多にお目にかかれないよ」
散髪用の椅子に腰かけた銀髪の男は、自分の座っている椅子の肘かけに付着していた埃を人差し指で拭いながら言う。
「うるせぇな、小姑みたいに。だったら他で切れよ」
店の奥の暗がりから、どうやら散髪の準備をしているらしい店主が横暴な口ぶりで言葉を返した。