――彼と出会って、
17年目の春。
きっと彼は、家にも帰らず、この野原に私が1人できているなんて、これっぽっちも思っていないだろう。
…いや。いつもは鈍感なくせに私のことだけには妙に敏感な彼は、もしかしたら私の異変に気づいてるかもしれない。
…彼が探しにくる前に、この野原からは出なくちゃいけないな。
『…いい天気だな。』
ふと見上げた朝の空は、澄み切ったように透明な色をしていた。
限りなく、透明。
彼、…慎治は、この空のように透明な人だった。
昔、慎治が消しゴムを忘れていて、困っていたことがある。
隣の席だった私は、消しゴムを貸してあげようと試みたが、素直に渡せなかったんだ。
だから、『金子さんが消しゴム貸してくれるって』と勝手に他人の名前を使った私。
――そんな私なのに。
慎治は、『美奈は優しいね。』と私の名前を呼んで、ニコリと微笑んでくれた。
その時、感じた。
きっと慎治は、私が照れ隠しに他人の名前を使ったことを、気づいていたんだろう。
そして、それをあえて言わないような慎治の純粋な優しさが、私は大好きだった。
ふと、見つけたシロツメグサを、私は一本だけ抜きとる。
そういえば慎治が昔、これで頭につける王冠みたいなのを作ってくれたっけ。
…当時、幼稚園ぐらいの私たちは、言葉の重みを知らなかったんだろう。
“ねぇ、美奈ちゃん”
“なぁに??”
“大人になったら、僕と結婚してくれる??”
“もちろん”
――ごめん、慎治。
私は、その約束を果たせないよ。
慎治とはいつだって一緒だった。
家が隣で家族ぐるみのお付き合いをしていたし、小さいころの遊び相手はいつも慎治。
それは、小学校へ行ったって、中学、高校に行ったって変わらない。
女の子と合わない私はいつも慎治といたし、いつの間にか私は公認のカップルになっていた。
私にとって慎治は、いつだって一番近い男性だった。
―――――――――…
――――――――…
―――――――…
慎治を男だと意識し始めたのは、小学6年生のころ。
生まれつき心臓が悪い私は休み時間、みんなが教室でバレーをしているのを眺めている時だった。
慎治は特別美形、ってわけじゃないが、人柄がよく、明るい性格で、つねにクラスの中心的存在だった。
かっこいいと言うよりは、可愛い感じの慎治の無邪気な笑顔は、男女問わず好かれる要素だったと思う。
可愛くて優しい。
そんな慎治に私はいつも救われていた。
「美奈、今なにしてるの??」
慎治が私の顔を覗きこむようにしながら、私に話しかける。
慎治の額からは、バレーを頑張りすぎたのか、キラリと汗が光っていた。
『みんなのバレーをみているの。』
子供らしい無邪気な笑顔で慎治に笑いかける私。
…ちゃんと、わかっていた。
慎治は私が運動ができないことを知っていて、バレーの合間に私に話しかけてくれること。
それが、慎治の優しさだということを。
「…そっか。」
事情を知っているからか、複雑そうに微笑む慎治。
私を気遣う慎治の優しさが、胸にしみこむ。
『…私は大丈夫だからっ
慎治はバレー、もう一度やってきなよ!!』
慎治に心配かけないように、なるべく明るい声を出して、笑顔をつくる。
慎治はそれでさえ見抜いているのか、もう一度複雑そうに笑うと、
「わかった。」
そう言ってバレーの輪のなかに入っていた。
…別に、私は心臓が悪いことを悔やんだことなんて一度もない。
ただ、こうやってみんなと運動できないのは少し寂しいけど、
慎治が来てくれるから、どうってことなかった。
――この、瞬間までは。
「おい、慎治。
またアイツといたのか??」
思わず、体が固まったように耳を疑ってしまう。
そう言ったのは、いつもクラスでふざけている男子で、きっと“アイツ”とは私のこと。
聞いてはいけない。
きっと、後悔するから。
そう思って体を動かそうとしたけど、何かに取り憑かれたように動くことができなかった。
…続きを聞くのが、怖い。
「そうだけど…。」
話の雲行きがおかしいと思ったのか、若干顔を曇らせながら言葉を返す慎治。
そんな慎治に気づかずか、男子は尚話を続ける。
「アイツって心臓悪いんだろ??
一緒にいるのやめようぜ。
…心臓悪いのが移る。」
頭に、衝撃が走ったような瞬間だった。
否定したいけど言葉が出ず、足がすくんだ状態。
…違う、違うよ。
確かに私は心臓が悪いけど、別にこれは移ったりしない。
それに心臓が悪いって言っても、運動ができないだけで、日常生活に支障は与えないから大丈夫だもん。
…だから、そんなこと言わないで。
ほんのり汗ばんだ手を、感情を押し殺すかのようにギュッと握る。
涙で視界がぼやけてきたが、目から零れないように必死で耐えた。