話は幼いという内容自体に戻しましょう。

 何処までが子どもで何処までが大人なのか?
 子どもの我侭と大人の意地というのは、誰が何処で区切りを付けるのだろう?

 そういう言葉はよく紡いでおりますが、本当に感じていることです。

 法律では区切れない、本当の区切りというモノは常に存在していて、自分と他人というモノを自分のものさしと天秤で見極めているのかもしれません。

 雰囲気の幼さではなく、心の持つ幼さと大人の部分。

 皆に合わし順応しなければならない事柄に合わす事が本当に大人なのか?
 じゃあ自分は自分という自我と言う事で合わさない事は幼いのか?

 愁明はきっと、人生のターニングポイントというモノを感じても答えが出ないような気がします。
 答えが出ないこと、答えを出さない事もきっと答えの一つであり、正解の一つで……。
他人には、それは答えではないと言われても自分には答えなのだろう。

 幼い心と大人の心、そして揺れる心。
どう考えるか、どう感じるか、どう思うか……言葉を紡ぐ自分にはこの幼さも大切な一つだと思うのです。