数学的以外では
矛盾とかジレンマ(トリレンマ)とかいろいろあります。

数学の場合はちょっと違うようです。

数学は初めに話した論理に当てはまるので、
最初は妥当性の可能性での確立で答えを選ぶ。
その中で一番組み合わせをしてゆき
『本当の答え』を出した結果。

途中の段階とか、無限とか集合体としては
答えが行き着いていないっぽいのかな。

言語学的には哲学が多いのではないでしょうか?
SFでの世界の話でも実はあります。

砂山のパラドックスは哲学です。
何処まで砂を取れば、又は積みあげた時砂山となるか
そこが曖昧なのでどちらかから[ちがうよな?かそうだよな?]と話す。

うそつきのパラドックスは
うそつきの国の人がうそつきの国の人はうそつきである
と言うと……?
この人が嘘を付いている!となると、うそつきの国の人はうそつきじゃなくなる
 けどこれは聖書の一つにもあるんだけどね。
数少ないうそつきではない人とかが入れば崩れるのですけどね。

ワニのパラドックスもうそつきと同じく自己言及型のパラドックスで、
ワニが次の私の行動を当てよ!というと
母親があなたは私の子供を食べますと言う事で、行動が封じられ制限される。

ネタで言えばQAというので最後の質問が

『あなたが次に発する言葉はイイエです』
途中のやり取りが今までと違いなくなっているので
『ハイ』だと間違い、『イイエ』だとうそつきというか終了!
に答える人がなるように仕組まれてます。上記に近い話です。