激しい雨に叩きつけられながら、俺は歩いた。
頭から水を被ったように、濡れながら。
明るかったはずの空も、暗くなりかけている。
……また、雷鳴が響き渡った。
どこかに、山小屋とかねぇのかよ。
もう、この際、通りがかった車でも構わなかった。
けれど、俺の願いも虚しく、車は一台も通らない。
土砂降りの雨は冷たく、吹きつける風に木々が揺れる。
俺は、焦っていた。
このまま、夜にでもなったら………。
「朔ちゃん…。」
俺の背中から、梨子のか細い声。
「ん?」
少しでも不安にさせないように、俺は精一杯明るい声を出した。
「……ゴメンナサイ……あたし…足手纏いで………。」
「…………。」
梨子が、泣いているのは明らかだった。
「…朔ちゃんに…ついてきちゃって……ゴメンネ……。一緒に逃げたりしなければ……あたし…なんかが、いなければ……もっと……。」
「梨子。ついてきてくれて、ありがとう。」
「…………。」
「俺と、一緒に逃げてくれて…ありがとう。」
歩みを止める事なく、俺は言葉を続ける。
「梨子がいてくれたから、いつか捕まる事も怖くなかった。
……俺が一番怖いのは、梨子を失う事だよ。」
背中から聞こえる嗚咽と、ぎゅっと俺の肩を包む細い腕。
これが、
恋でも、愛でも、なかったとしても。
俺にとって彼女は紛れもなく、一番大切な女の子だ。
「…朔ちゃん……。」
「ん?」
「明かりが見えます……。」
「えっ?」
梨子が指し示す先、確かに滲んだ明かりが見える。
木々を掻き分けて近づくと、それは姿を現した。
山の中に不釣り合いとも思える派手なネオン。
ピンクと白、赤と白という奇抜な外壁の建物は、まるで…………。
「お城です!」
……絶対言うと思った。
「……梨子、違うよ。」
「え?」
「あれは………。」
………あれは、ラブホテルだ。
(失う事を恐れていた。
背中に感じる君の鼓動、
あぁ、こんなにも―…)
「朔ちゃん……。」
「…何だよ。」
「部屋がピンクです!」
「うるせぇーよ!!」
部屋の照明はピンク、円形のベッドのシーツは毒々しい程の赤。
いかにも、という感じの部屋を見て、梨子は目を丸くしている。
「朔ちゃん!見てください!猫足のバスタブです!」
「はい、はい。」
「朔ちゃん!ベッドが、お姫様ベッドですっ!」
「はい、はい。」
「朔ちゃ〜ん!さすが、お城ですねぇ!」
「…………。」
マジメに城だと思っているらしい梨子。
夢見る乙女に、ラブホだ、とは言えなかった。
「梨子、風邪ひくからシャワー浴びろよ。」
「朔ちゃんは?」
「……俺は、後でいい。」
そう答えて、俺はベッドに腰かける。
いくらラブホとはいえ、全く趣味の悪い部屋だと思った。
こんな緊急事態じゃなかったら、絶対に入らないだろう。
そして、俺自身、困惑していた。
ラブホに二人きり……。
自分の理性には自信があったものの、さすがに気まずい。
ここがラブホだと、梨子が気づいていないだけマシだったが…………。
やる事もないので、俺はテレビのリモコンに手を伸ばし、スイッチを入れた。
すると…………。
『ァン……ァ、ア…いやぁ〜。』
なっ!!?
テレビから聞こえてきたのは、女の喘ぎ声。
映し出されるのは、絡み合う男と女。
AVじゃねぇか!!?
半分パニックになって慌てる俺。
梨子は、全ての動作が完全に停止して画面をガン見。
何て気まずい状況だよっ!?
『ァッ、やぁ〜、ダメぇ〜…。』
うるせぇーよっ!!このバカテレビ!!!
つけたばかりのテレビを、焦りまくって消す。
テレビは消えて、ピンクな部屋は静寂に包まれる。
立ち尽くす梨子。
クソッ!余計に気まずい!!
「……朔ちゃん…。」
「な、何だよ……。」
「今のって……?」
「………あ〜っと、あー、え、映画じゃねぇ?
ほ、ほら!ラブストーリーとか…。」
「ラブストーリー!私、大好きなんです!!」
1トーン声が高くなって、ハシャぐ梨子。
「そ、そう……あっ、早くシャワー浴びちゃえよ。」
「あっ!そうですねっ!お待たせしてしまって、申し訳ございません。」
梨子は、トタトタとバスルームへ消えていく。
……よかった………。
梨子がド天然で……疑いもせずに、ラブストーリーだと信じてくれて………。
俺はテレビのリモコンを放り投げて、溜め息をついた。
梨子と交代で、俺はバスルームに入った。
熱いシャワーを浴びながら、俺はこれからの事を考えてみた。
いつまで続くか分からない逃亡生活。
いつかは……いずれは、捕まるだろう。
先の見えない逃亡にも、
捕まる事に対しても、
不安がないと言えば嘘になる。