「手、もう出していいよ」
「はぁ」
何がしたかったんだろう・・・・。
そう疑問に思いながらも、お湯の中からそっと手を出す。
ほんの少し前までは本能をむき出しにした狼だったくせに、今はムダに爽やかな笑顔。
この切り替えの早さ、5年つき合ってもいまだに慣れないわ。
いろいろとツラくないんだろうかと変な心配をしつつ、ほら早く!と孝明が急かすため、自分の手をまじまじと見てみる。
すると───・・。
キラリ。
薬指に光るものがあった。
「・・・・え」
「本当はこんな感じで渡すつもりじゃなかったんだけど、それ・・・・婚約指輪、ってヤツ」
「・・・・えっ」
「沙織から聞いてはいたんだ、俺の様子が最近おかしいことをヒカリが心配してるって。でも、とうてい話せない。だって、話したらサプライズじゃないだろ?」
「えっ、じゃ、じゃあ?」
「そう。沙織には俺から頼んで知らないフリをしてもらった。ヒカリの喜んだ顔が見たくて」
そんな・・・・。
こんなの想定外だよ・・・・。
「あれ? ヒカリ、固まった? ・・・・なんだよー。普通、ココは笑ったり泣いたりするトコだろ? プロポーズされてんだから」
「いや、そうなんだけど・・・・」
「はっ?」
どど、どうしよう、想定外すぎて涙も出ないし笑えもしない。
人生でたった1度きりのすごく貴重な瞬間なのに、なんでこんなに冷静なんだ? あたし・・・・。
自分のことながら、意味不明だ。
それを話すと、孝明はブハッ!と豪快に吹き出して笑った。
バシャバシャと湯ぶねまで叩いてお湯を跳ね上げ、それはそれは、豪快と言うしかないほど豪快に。
けれど、その間もあたしが見つめる左手の薬指に光る指輪はキラキラと輝いていて・・・・。
その輝きに少しずつ、本当に少しずつだけど実感が湧いてきた。
すると、つつー・・・・ぽちゃん。
頬を伝って落ちてきた涙の雫が一つ、湯ぶねの中に溶け込んだ。
「あ。やっと実感してきたなぁ? こういうのにホント鈍いよな、ヒカリって。ワンテンポずれてるっていうか、なんていうか」
「えへ、えへへ〜・・・・」
鋭く言う孝明に笑ってごまかす。
ワンテンポずれていてもちゃんと実感しているんだから、そこら辺は大目に見てほしいトコだわ。
とは言えないから、ヘラヘラ笑って指輪と孝明を交互に見た。
その直後───・・。
「ひゃっ!!」
急に手が伸びてきて、再びあたしは孝明の膝の上に乗せられた。
それから孝明は、ほの暗いバスルームの中でも分かるくらい顔を赤くして言ったの。
「なぁ、結婚・・・・しよっか?」
あたしの涙を唇でそっと拭って、一目で恋に落ちたときと同じ爽やかな笑顔で見上げて。
返事はもちろん決まっている。
孝明以外の人のところには、お嫁に行ける気がしないもん。
いつものホテルの、いつものバスタブ、そこに響くのはいつもあたしの甘い声だった。
けれど今日は、彼の甘い囁き。
―――――――
―――――
―――
―――
―――――
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それからしばらくした10月上旬。
結婚の話もトントン拍子に進み、晴れて婚約者同士になったあたしたちがデートに選んだのは、山あいにあるホテルだった。
孝明はあたしと別れるつもりなんだと勝手に勘違いをしたために断ってしまった、あのホテル。
やっぱり今回も道が悪くて、ホテルに着いたのは日暮れ頃。
10月ともなると山の空気は凛としていて、上着を羽織っていても体が芯から冷える。
空を見上げながら腕をさすっていると、ふいに孝明の手があたしの両手を包み込んだ。
「こうすれば寒くないだろ?」
そう言って、何度もハァーと息を吹きかけてくれる。
それから孝明はイタズラに言う。
「こんだけ寒けりゃ、夜は裸でくっつかないと風邪引くな」
「そうだね」
「寝かさないよ?」
「望むところ!」
婚約しても、すぐに一緒に暮らせるわけじゃないあたしたち。
春に結婚式を挙げるまではお互いに別々のまま、遠距離。
だからこそ、それまでの寂しさを埋めるように体を求め合うの。
夜。
広々としたベッドの上で孝明に腕枕をしてもらいながら、あのときのことを振り返る。
「勘違いって恐ろしいね〜」
「ホントだよ。危うく俺、とんでもない悪党になるとこだったよ。プロポーズ計画が、どうして別れ話になったんだか」
「テヘッ」
あの頃、孝明の様子がおかしかったのは、婚約指輪を選んだり、プロポーズの言葉やシチュエーションを考えていたからだったそう。
驚かせてやりたいと内緒で計画をしていて、それを勘違いしたあたしが沙織に相談して。
沙織は、最初こそ孝明の計画を知らなかったために“浮気疑惑”を持ち出したらしいのだけど。
「沙織もアレでけっこう面倒くさがりだからなぁ。ヒカリがあんまりしつこく聞くから、途中でバラしたくなったらしいぞ」
「うん。聞いたよ、それ。ホント薄情な子だよね〜、励ますとかないのかな、沙織の頭の中には」
「いやいや、ヒカリが悪いだろ」
「そぉ?」
「そうだろ。沙織のメッセージ、見逃したのはどこの誰だ?」
「あ。あたしだ」
「だろ?」
そう───・・。
次のデートでフラれるんだと完全に誤解した、ブサイクな似顔絵が書かれたヒントの紙。
あれには実は、沙織からのメッセージが隠されていたんだ。
【孝明さんはヒカリを愛してる。いつまで疑ってるつもり? そんなんじゃ孝明さん、ヒカリから離れてっちゃうんだから!】
クシャッと丸めたその紙を、プロポーズをしてもらったあとで制服のポケットから見つけて。
開くと、そう書かれてあった。
“じゃあこの絵や吹き出しの台詞は何なの?”と問い詰めたら、沙織はやっぱり、あくまで他人事というように言ったんだ。
「あー、これ? フェイクよ、フェイク。ヒカリがあんまりアホなことで悩んでるから、ちょっと意地悪したくなっちゃった」
テヘッと舌を出して笑って。
それから、こうも言った。
「プロポーズされたんでしょ? よかったじゃん、おめでとう。ヒント料は弾んでもらうからね」
あたしばっかり空回りして、疑ったり不安を募らせたり・・・・。
孝明には口止めされ、あたしには教えてとせがまれ、沙織も相当複雑だったんじゃないかな。
「・・・・で、ヒント料とやらはいくらで片がついたの?」
孝明が、あたしの髪を撫でながらニヤニヤ笑って聞いてきた。
その顔に無性に悔しくなったあたしは、クルッと体を回転させて背中を向けてボソッと答える。
「3万7千円。家族サービスだって言って、政伸さんと美雨ちゃんの分まで高級寿司を奢らされた」
「ブハッ・・・・!!」
「笑い事じゃないよぉ!! あたしのお嫁貯金が沙織一家に食べられちゃったの!痛い出費よ!」
孝明まで失礼だよ!
とブツブツ文句を言いながら、布団の中でキュッと丸くなる。
すると・・・・。
「ごめんごめん。予想以上に高くついたなと思って。お嫁貯金を崩したのか、それは痛かったな」
そう言って、あたしの体に優しく腕を回した孝明は首筋や耳にキスを落としはじめた。
それから耳元で甘く囁く。
「でも大丈夫。お嫁貯金なんかなくてもヒカリのことは一生食わせてやるから。・・・・てか、その前にもう一回食べてもいい?」
「あたしを?」
「ダメ?」
「・・・・いいよ」
「ヒカリ、愛してる」
「あたしも」
- END -
『プロポーズはバスタブで。』をご覧頂きまして、まことにありがとうございました!!
一度は使ってみたかったセクシースキンを使えて、やたらと大興奮の作者でございます(笑)
このお話のテーマは、表紙にもありますように「結婚〜Marriage story〜」でした。
彼の様子がおかしいことを浮気だと勘違いして暴走→でも実はプロポーズだった、なんていう王道ストーリーでしたが楽しんで頂けましたでしょうか。
甘めのお話にも初挑戦してみたわけなのですが、書いている間、こんな感じでいいのかな? とずっとドキドキしていました。
短編にも関わらず日ごとにしおりを挟んでくださる方が増えて、それに伴って期待に添えなかったらどうしよう、とか。
(全てにおいて)果たしてこれでいいのだろうか、とか(笑)
いろいろと不安に思いながら書き上げた短編でございました。
長編を書く傍ら、1人短編祭りと題して書いたこちらのお話。
結婚っていいなと憧れを持って頂けましたら作者冥利に尽きます。
このタイトル、ちょっとえっちぃですね すみません
作者個人としましては、バスタブでのプロポーズはご遠慮頂きたかったりもしますが(←え)
結婚して何年か経って、ちょっとケンカしたときなんかに、思い出してププッと笑えるくらいのシチュエーションが理想です。
キザな台詞やもっともらしいのは作者の性格上、引いてしまう可能性が大きいので
笑いが欲しかったりします。
それだと、ケンカなんて笑って許そうじゃないですか。
さて。
長々と書いてしまいましたが、皆さまの理想のプロポーズはどんなシチュエーションでしょう?
「結婚〜Marriage story〜」をテーマに書いたこちらのお話が、少しでも理想に当てはまるものだったらいいなと思います。
この機に想像してみるのもおもしろいかもしれません。
皆さまの恋愛が素敵な結末を迎えられますように、微力ですが作者にも祈らせてくださいませ。
それでは、ここまでお付き合いくださいまして本当にありがとうございましたm(_ _)m
感謝感謝です!
2010.8.14 rila。