『早く荷物つめなさいね。準備出来たら、すぐ出るから』

隣の部屋で母が呼んでいる。

蘭は

『はあい』

と間の抜けた返事を返して、これまた真新しい皮の鞄を持って部屋を出た。





家を出てから名瀬学園に付くまではあっという間だった。

車で30分という決して近い距離ではなかったが、今日の蘭にとっては2時間でも3時間でも足りなかった。

『やっぱり私、行きたくない』

母にそう言おうとも思ったが、言ったところで自分はもう名瀬学園の人間であることに変わりはない。

母には呆れられるだろう。受験失敗で下がったポイントをさらに下げることになるだけなので、蘭はその台詞を春の風とともに飲み込んだ。

おめでとう、という言葉が飛び交う。

桜の花が舞う。

みんなが笑顔になる。

誰がどうみたって幸せハッピームードの場面で、自分だけが取り残されたように蘭は思った。

『あんたも写真撮っとく?』

『名瀬学園高等部』と名前が彫られた校門の前で、新入生たちが記念撮影をしている。

それを指差して母が蘭の顔を覗き込む。

『いらない』

まさか。撮るはずないじゃん。

蘭は心の中でそう付け加えて、すたすたと校舎へ向かって歩き出した。

『あんたもいい加減諦めなさいね。琴生にはいれんかったんは残念やけど』

名瀬は名瀬で楽しいやろし、きっと…

そんなことを呟いた母の声が、背中の方で聞こえたが蘭は振り向かなかった。






入学式のことはよく覚えていない。ただ新入生の名簿を見ながら担任が名前を呼んだときのことは鮮明に覚えている。

正直なところ、自分はまだこの学校の人間じゃないんじゃないかって。

『あなたを落としたのはこちらの手違いでした』って琴生から連絡が来るんじゃないかって。

そんな馬鹿な願いを抱いていたけれど。

担任の、枯れたジジイのしわがれた声で『後藤蘭』と呼ばれた時、その夢も崩れた。

返事をしようか迷ったが、黙って起立した。

それがいまの蘭にとっては、このツイてない運命に対する精一杯の抵抗だった。