電話口の遠藤さんが、ますます言葉少なになる。

「どういう事だよ。これってあんたんとこの薬品に問題あるんじゃないのか?」

『申し訳ありません!』

遠藤さんの声が震えている。

『とにかく治験薬の服用は直ちに中止なさって下さい。もう一度確認致しますが、薬の服用は昨夜の一度だけ、二錠お飲みになっただけですね?』

「ああ…」

やけに念を押してくる。

あの薬、そんなに危険な薬だったのか…?

俺の中で猜疑心と不安が首をもたげた。

このまま俺の腹痛、治らないんじゃないだろうな…?

ふと恐怖に駆られてしまう。

「この体調不良どうしてくれるんだよ!?」

『申し訳ありません!すぐにこちらの方で腹痛と下痢を止める薬の方を準備させていただきます。それから…』

遠藤さんの声がやや潜まった。

『僅かばかりですが、慰謝料もご用意させて頂きますので、どうかこの件は他言無用という事で…』

「……」

そうまで言うなら、まぁ…。

俺は怒りを鎮め、その場はおさめる事にした。

数時間後。

遠藤さんが俺の住んでいるアパートに出向いてきた。

彼女は深々と頭を下げた後、体調不良を改善する為の薬、菓子折、更には慰謝料十万円の入った封筒を置いていった。

その代わり、くれぐれもこの件は内密にという事を繰り返し告げる。

…まぁいいさ。

俺はこの腹の痛みが治れば文句はない。

結果として、儲けた訳だしな。




遠藤さんが帰っていった後、俺は彼女の持ってきた薬を服用し、ベッドでしばらく眠る事にした。





ボリボリ。

「遠藤さん…どうしてくれるんだよ」

ボリボリ。

「申し訳ありません…」

ボリボリ。

「申し訳ありませんじゃねぇよ…こんなの、裁判沙汰になってもおかしくないぜ?」

ボリボリ。

「ど、どうかそれだけは…っ!」

ボリボリ。

「じゃあどうしてくれるんだって言ってんだ!」

ボリボリ。

「む、村上さん、そんな大きな声を出さないで下さい」

ボリボリ。

ボリボリボリボリボリボリボリボリ。

頭にはニット帽。

口元にはマスク。

長袖シャツにジーンズ。

真夏には明らかに異常と言える完全防備。

俺はそんな姿で、駅前の喫茶店で遠藤さんと会っていた。

俯き、顔面蒼白となった遠藤さん。

差し向かいに座る俺は、服の上から体を掻き毟っている。

痒い。

ずっと全身が痒かった。

言うまでもなく、遠藤さんからもらった、腹痛と下痢を止める薬というのを服用してからだ。

あの薬を飲んで発症したのは、全身の痒みだけではない。

「見ろよこれ」

俺がシャツの袖をまくって遠藤さんに見せ付ける。

「っ……!」

彼女が息を飲む。

「腕だけじゃない。全身だぜ?」

マスクの下で、俺は自嘲する。

…袖をまくった腕は、皮膚が赤黒く変色していた。

治りかけの火傷のようにジュクジュクと爛れた皮膚。

その爛れに混じって疱瘡のような、水ぶくれのようなものが全身に出て、掻き毟るとそれが破れ、膿のようなものが溢れ出し、それがまた痒みを誘った。

あまりにおぞましい変貌を遂げた俺の腕に、顔を背ける遠藤さん。

「よく見ろよ、お前がやったんだぜ遠藤さん。ほら、ほら!」

腕を顔に押し付けるように見せ付ける。

テーブルに、腕から垂れた膿状の汁がこぼれ、滴が遠藤さんのアイスコーヒーの中にポタリと落ちて波紋を作った。

「わかりました!わかりましたから、どうか…!」

嗚咽混じりの声になって、遠藤さんは俺から遠ざかろうとする。

「フン…」

少し落ち着きを取り戻し、俺は席に座る。

彼女が非を認めないようならば、俺はこの場で服を脱ぎ捨て、この喫茶店の客全員に変わり果てた姿を見せつけて、製薬会社の医療ミスを暴露してやるつもりだった。

だからこんな姿になったにもかかわらず、俺は外の喫茶店に遠藤さんを呼びつけたのだ。

「上の者と掛け合って、村上様には相応の対応をさせて頂きます。なにぶん、私一人の判断ではどうにもならない所まで事態は進行してしまっていますので…何卒、ご容赦をお願い致します…必ずお詫び致します…責任は当社が負いますので、どうか時間を…!」

テーブルに額を擦り付けるようにして頭を深々と下げる遠藤さん。

「いいだろう」

俺は一旦席を立つ。

最初の治験薬を飲んだ時の腹痛と下痢も、まだ治っていない。

トイレに行きたかった。

トイレに入り、俺は考える。

製薬会社は社会的信用を失いたくない一心で、俺の言う事なら何でも聞くだろう。

少々の無茶でも了承する筈だ。

前からあの遠藤さんは…いい女だと思っていた。

あんな美人、自分のモノにしてみたかったんだよな。

醜く成り果てた俺が、遠藤さんみたいないい女を蹂躙する。

何だか背徳的で悪くない。

酷い事なんてあるもんか。

俺には復讐する権利がある筈だ。

彼女は拒めない筈だ。

俺をこんな姿にしたんだからな。