その日も私は、先輩の言うところの、外とは繋がっていないプールの泥の中から出てくるザリガニの如く、NISHI2-407を使って校舎を移動して授業を受けていた。この大学の歴史についての講義。近年、自分の大学の歴史についての講義はどこの大学でも人気があるという。アイデンティティ形成のため、自分はどこの誰なのかを知りたい、自分がいる場所の謂れを知りたいと思う人は増えているとか。私も例に漏れず、その雰囲気に被れた一人で、大教室を埋める学生たちの中に身を潜める。まあ、潜めていたのは初夏の頃までで、今は空席の目立つ教室の、前の方の席で講義を聴いている。先生とも顔馴染みになった。
 明治期の開学のこと。大正時代に一世を風靡した文学グループを排出したこと。そんなくだりを経て、今は第二次世界大戦の頃の学校や学生の様子について、スクリーンに投影された白黒写真を見ながら説明を受けている。この大学の校舎は東京大空襲の際に大半が焼失している。そのため、スクリーンに映される風景は、同じこの場所だというのに全く違う。しかし、学生は今と変わらない。服装や髪形こそ違うけれど、生真面目そうな面持ちの集合写真、日常生活の一面での笑顔。戦時下の緊張に満ちた顔。ここで生きているのだ、という希望や誇りが感じられる。社会状況、人間関係、色々なものに翻弄されながらも、道を違うまいと悩み、試行錯誤して生きる人間の姿。
 だが、私の耳に、先生の熱の入った語りは届いて来なかった。ほんの数秒で流れてしまった写真が、私の心を捕えていた。