「ちょっといい?」


 ごくごくいつもの仕事をごくごく普通にこなしているごくごく普通の日常の中で、ごくごく普通に声をかけられる。

 振り返るとそこにいたのは事務長と彼の奥さんだった。

「奥さんが先生に御用があるそうなんだ。ご案内してくれる?」

「はい」

 私は事務的に返事をし、奥さんに頭を下げ、少し前を歩く。
 彼のところへ連れて行くために。


 奥さんは、以前忘年会だか新年会だかで見たときの印象と変わらなかった。優しくて楚々とした人。目立って美人というわけではないけれど、美しく振る舞える人。こんな人を伴侶にできたら幸せだろうと思う。私なら不倫なんかしない。

 私と彼女の前を子供が走りぬけた。小児病棟へ向かう連絡通路。
 ぶつかりそうになったナースが子供達をたしなめる。


「病気をしても子供って元気なのね」

 彼女は目を細めながらその様子を見つめる。

「子供はお好きですか?」

 私はごく自然に、彼女に子供のことを尋ねる。出来ればこの言葉が彼女の心をえぐる事を期待して。

「ええ。育てるのは大変そうだけどね」
 彼女は困ったような嬉しいような顔をして、でもね、と言った。

「私も来年の頭にようやくお母さんになれるみたいなの」


 彼女は笑顔で、お腹にそっと手を当てた。