「ああ、ぼくの名前は海斗。
 村上海斗って言うんだ。普通だろ?」


「村上、海斗くん…
 私は素敵な名前だと思いますよ」


そう言って彼女は素敵な名前です、素敵な名前です繰り返し言った。何だか褒められているのか微妙な感じだ。


「そういえば
 ぼくも君の名前、
 まだ聞いてなかったね」


あれ、そうでしたっけ?と笑ってとぼける彼女に、おいおいと心の中で呆れる自分がいた。


「私の名前は、たかのみきって言います。
 高い野原に美しい希望。
 それで高野美希です」


高野美希。可愛らしい感じで良い名前だ。でも、高い野原って何だろうと不思議に思った。


――海斗くん


彼女、高野美希から「新しい住人さん」と呼ばれるのではなく、自分の名前を呼ばれるのが、少し恥ずかしい様な、でもやっぱり嬉しい様な、そんな気がした。
 

その後、一階から「家具と荷物を運べー!」と母さんの叫び声が聞こえたので、美希には「また明日」と言って電話を切った。


一階を降りると、引っ越しの作業をやらずにソファーに寝転がっている母さんがいて、「早く運べよな」なんて偉そうな事を言っている。この人はやはり、母親として失格なんじゃないのかと思ってしまう。


そんな母親を強制的にソファーから起こし、引っ越し作業の手伝いをさせた。


段ボールに入った荷物を運びながら隣で文句を言っている母親を余所に、ぼくは高野美希が切る直前に言った最後の言葉を思い返していた。


彼女はとても小さくて聞こえそうもない声で一言、ぼくの勘違いかもしれないけど、やっぱり言った気がする。



「ありがとう」と。