紙コップ式のコーヒーを購入する際にコップはコトリと落ちてきたのだが、なにも注がれないまま終了完了のピーピーが鳴る。

蓋が開く。

目の前にはなにも入っていない紙コップ。

さらにこの時コーヒー豆を挽くウィーンの音までしてたら悲惨だ。

まるで後半始まって5分すぎたあたりから監督にアップを命じられて、カラダを温めてはみたものの結局試合に使ってもらえないサブの選手のようだ。

だからといって人は準備をしなくていいわけでもない。結局空から何も注がれなかった空の紙コップの中にだって

何 か が 入 っ て い る は ず で 、

空の紙コップであることには間違いはないが、人はその空の紙コップからでも何かを得ることはできる。

得ようと思えばだ。そして、その多くは、まるで不毛だ。


不毛といえば、シュレーディンガーの猫ってのを知ってるか?

自販機の中に存在するコーヒーが出る状態と出ない状態は、

観測を行う前も後も変わらない。

観測によって、入ってるコーヒーを観測した観測者と

入っていないコーヒーを観測した観測者の重ね合わせ状態に分岐する。

これは宇宙全体が並行に分岐するわけではない点で、並行世界の概念とは大きく異なる。

分岐した後には入ってるコーヒーを観測した観測者

または入ってるコーヒーを観測した観測者の一方しか残らないため、矛盾は存在しない、という考え方である。

(エヴェレットの多世界解釈より)