「あ、お前、時間ええんか?
俺は、全然ええねんけど。」





私を抱きしめたまま、そう言う幸谷くんに、私の、思考回路が正常に作動し始めた。






「え、ヤダ…、嘘…。」






駅の時計は、もう、9時を超えていた。

幸谷くんの腕の中から、勢いよく離れた私は、項垂れるしかなかった。

初めての遅刻…。

どうしよう…。






「遅刻…だよ…」






呆然とした私に幸谷くんが楽しそうに笑った。






「(笑)。
…学校まで、送るわ。
俺の学校と近いし、桜阪高校やろ?

チャリ、あるし。
乗せてく。」






そう言ってくれた幸谷くんに、私は首を振った。






「幸谷くんも、遅刻でしょ?

私、バスで行くよ。」






「なんで?」





そう答えた瞬間、眉間に皺を寄せた幸谷君に一瞬カラダが震えた。

だって、凄く怖いと思ったんだもん。

そんな私の様子に気付いた幸谷くんが、小さく溜息を吐いて、私の手をギュッと握った。






「…じゃあ、帰り、一緒に帰ろう?

迎えに行くから。
正門前で待ってる。」






「…うん。」







「…じゃあ、バス停まで、送る。」







バスに乗り込んだ私。

空いてる席。

窓際に座った。

窓の向こう、何か言いたげにこちらを見ている彼に恥ずかしくなって、私は、慌てて鞄の中から、本を取り出した。

頭の中は、沸騰しそうなくらい熱くて、胸は早鐘のようにドキドキ脈打っていた。

走り始めたバス。

ゆっくり顔を窓へ向けたけど、もう、彼の姿は見えなかった。





初めて感じる感覚。

甘く痛む胸。




これが恋の始まりだとは気付けない私は、ただ、熱くて苦しい胸をそっと押さえた。