好きだと、言って。①~忘れえぬ人~


「ねえ、どうしたの?」


少しためらった後、私は、その子に声をかけてみた。


なんだか、困っているように見えたから。


「え? あ、あの……」


そう言って、彼女は恥ずかしそうに、白い頬をポッと上気させた。


うわっ。


色が白いと、ほっぺってピンク色に染まるんだ。


可愛いーっ!


それに、澄んだハイトーンの声も、まるでアニメの主人公みたいに可愛いすぎっ!


本当に、こんな子って居るんだなぁ。


高校入学時には、身長168センチ。


ひょろひょろと、背ばかり伸びるのがコンプレックスだった私は、小柄な子を見ると何だか嫌~な気分になるんだけど、


ここまで可愛らしいと、いっそコンプレックスなんて感じない。


しっかし、ホント、お人形さんみたい。


思わず、彼女の美少女具合に感動していると、彼女がすっと右手を上げた。


「あの人の名前、分かりますか?」


「え? どの人?」


彼女の白い指先が指し示す方に視線を巡らせた私は、そこに良く知っている二人連れを見つけて、ちょっと驚いた。


そこに居たのは、三ヶ月年下の従弟の浩二とその親友、伊藤貴史くんだった。



そもそも。


幼稚園からの腐れ縁だから浩二が従弟であることを差し引いても、二人のことは良く知っているんだけど。


いわゆる、『幼なじみ』ってやつ。


ちなみに。


二人とも、三度の飯よりもサッカーが大好きな『サッカー・バカ』だ。


「えっと、どっちの人? にやけた顔をしている垂れ目のツンツン頭は、佐々木浩二って私の従弟なの。

で、色黒の大きい方が、伊藤貴史くんだけど……」


「伊藤くん……、伊藤貴史くん」


彼女は、その名前を確かめるように呟いた。


ピンクの唇が、伊藤くんの名を呼ぶ。


私は、なぜかドキンと鼓動が大きく跳ねるのを感じた。




「おーい、亜弓、何してるんだぁ? もう、入学式始まるってよ!」


「今行くよー!」


浩二に大きく手を振り、私は彼女に向き直った。


「あ、私は、佐々木亜弓。よろしくね!」


右手を差し出すと、彼女は一瞬驚いたように目を見開き、再びその頬をピンクに染める。


そして、零れるような笑みを浮かべた。


「わたし、三池ハルカです」


『ペコリん』


そんな表現が似合うような可愛いらしいお辞儀をして、彼女は小さな白い手を差し出し私の手に添えた。


ギュッと握ったその手は、とても小さくて、とても柔らかかった――。


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12【沈黙】


愛は盲目。


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病院に着いたのは、午前十時を少し回った頃。


私と直也は、受付で教えて貰った二階にある『集中治療室』に向かった。


そこで、ハルカは治療を受けているという。


気ばかりが急いて体が付いていかず、足がもつれて転びそうになってしまう。


そんな私を、直也が傍らで支えてくれる。


一人じゃなくて、良かった。


私一人だったら、無事病院に辿り着けるかも、怪しいところだ。


ドキドキと、大きくなるばかりの不安を胸に、一歩一歩足を進める。


集中治療室のドアの前。


壁際に置かれた長イスには、おそらくはハルカのご両親だろう、中年の男女が肩を寄せ合うように座っていた。


そして。


その傍らには、ドアをじっと睨み付けるように佇む浩二がいた。


その横顔には、明らかに疲れの色が見て取れる。


それどころか、この一週間で、またやつれたように感じた。


――ダイエットなんて、嘘ばっかり言って。


本当、バカなんだから……。


もう、ケンカしていたことなんか、どうでもいい。


少なくとも、浩二は本気だ。


本気で、ハルカを思っている。


今の浩二の姿を見て、それがよく分かった。


なら、私がとやかく言うことは何もない。


「浩二っ!」


「亜弓……」


名を呼び走り寄ると、浩二は微かに口の端を上げた。


愛想の良いのだけが取り柄みたいなヤツなのに、その表情はおよそ笑顔にはほど遠い。


「浩二、ハルカは? ハルカは大丈夫なの!?」


思わず声を荒げる私に、「まだ分からないんだ」と、浩二は力無く頭を振った。


ハルカは、まだ危篤状態のまま――。


最悪の事態じゃないことに対する、ほんの少しの安堵感と、


まだ、最悪の事態に至る危険をはらんだままの状態だと言うことに対する、大きな危機感。


相反するを感情に囚われながら、私はイスに座るお二人に、深く頭を下げた。


「佐々木君、こちらの方達は?」


女性の方が、心持ち小首を傾げて、浩二に問うた。


――声と、

どこか少女めいた仕草が、ハルカによく似ている。


ハルカの、色素の薄い髪と瞳の色。


そして肌の色の白さは、きっとお母さんからの受け継いだものなのだろう。



「あ、はい。ハルカさんとは高校の友人で、俺の従姉の佐々木亜弓と……」


女性の問いに、浩二は私を紹介した後、


私の傍らに立つ直也に視線を移して言い淀んだ。


浩二と直也は面識がないから、無理もない。


「篠原直也です。電話を頂いたとき、たまたま亜弓さんと一緒にいたので、同行させて頂きました」


雰囲気を察し、簡単な自己紹介をする直也に、浩二が胡散臭そうな目を向けるのを見て、思わずじろりと睨み返してしまった。


いけない。


今、ケンカなんてしてる場合じゃない。


「そう。あなたが、亜弓さん……」


その女性、ハルカのお母さんは、やはりハルカによく似た大きなライト・ブラウンの瞳を細めて、


遠い日の出来事に思いを馳せるような、どこか懐かしげな眼差しを私に向けた。


「なんだか、初めて会った気がしないわね……」


そう言って、微かに口元をほころばす。


「あの子が高校に入学したばかりのころ、『素敵なお友達ができたのよ』って、毎日のように、あなたの話を聞かされていたから……。

あなたが来てくれて、ハルカもきっと喜んでいるわね」


おばさんの瞳の中に、揺らぐ感情の波。


どれほど心配されているか。


他人の私だって、どうにかなってしまいそうなのに。


私は鼻の奥にツンと込み上げるものを押しとどめながら、もう一度、深く頭を下げた。

そう言えば。


恋人の一大事だというのに、肝心の伊藤君の姿がどこにも見えない。


ふと、そのことに気付いて、私は浩二に耳打ちした。


「浩二……、伊藤君は?」


伊藤君が所属するサッカーチームを抱えているのは、地元の大手家電メーカーだ。


この中央病院までなら、車で三十分とかからない。


少なくても、私と同じくらいの時間には連絡が行っているだろうから、もう着いていても良いはずなのに。


それとも、試合で、地方とかに出ていてすぐには来られないんだろうか?


「……言ってない」


相変わらずドアに視線を固定したままの浩二の呟きに、一瞬、意味が分からずに思考が止まる。


え……?


「言ってないって……、どういうこと?」


嫌な予感が走り、私は思いっきり眉根を寄せた。


まさか。


まさか、ハルカが危篤だって、伝えてないってことじゃないよね?


だって。


そんな馬鹿なこと、あっていいわけがない。


ハルカが、もしかしたら命が危ないって局面で、恋人の伊藤君にその状況を知らせない――。


そんなこと、あっていいわけがない。


私は、信じられない思いで、浩二の横顔を凝視した。


「伊藤には、伝えていない」


表情を変えることなく、浩二は呟く。


「な……んで?」


「……」


沈黙。


それが、浩二の答えだった。


浩二はハルカが好き。


ハルカの思い人の伊藤君は、邪魔者だ。


だから、ハルカの危篤を伊藤君に伝えない。


実に、簡潔明瞭な理屈じゃないか。


よもや――。


よもや、我が従弟が、ここまで性根の腐った人間だなんて、思いもよらなかった。


情けなくて、


情けなさ過ぎて、涙も出てきやしない。


ギュッと唇を噛んで、私は、浩二を殴り飛ばしたい衝動を、ギリギリのところでこらえていた。