今日もまた、一日が終わろうとしています。
 私は特に気の利いた柄もない布団の中で姿勢正しく横になり、いつものように天井の一点を見つめています。一日の中で私が人間らしい感情を抱くのは、ここからの時間だけと言って良いでしょう。
       
 毎朝きっちり六時四十分に起床します。塀の外であれば吐息が白く浮かぶ季節ともなれば布団に潜りモジモジと体をくねらせ、時折モグラのようにヒョコっと頭を出し時計を確認したりして、少しでも一日の始まりを遅らせようと考えるものですが、ここではそんなわけには行きません。
 目覚めと共に起き上がり着替えて布団を畳み、五人の同居人と供に房内を清掃した後、洗面を済ませます。点呼点検を受けると朝食を取り、後片付けを行い、用便を済ませ、いよいよお務めとなります。
 私は主に工場で紙加工品、専らデパートやブランドショップ等の手提げ袋を製作しています。袋の原紙の中に見覚えのあるロゴを見付けると塀の外を懐かしむ者もいますが、私がそのような感慨に浸ることはありません。手提げ袋の製作工程と同じように、ただ機械的に作業をこなすだけなのです。
 午前と午後に一度づつの休憩があり、正午から昼食を取ります。
 務めの終わる時間はその日の入浴の有無によって変わりますが、概ね十五時から十六時になります。
 還房後は点呼点検を受け直ぐに夕食です。その後は二十一時の就寝まで余暇時間となりますが、私はあまり同居人達と言葉も交わさず、目立たぬよう揉め事を起こさぬよう、ただその場に居るだけなのです。
 私はそんな共同生活の歯車の一つとして、来る日も来る日も規則正しい生活を続けています。ここへ来た二年前から、ここを出る前夜となる今日までずっとです。
        
 この雑居房の灰色掛かった天井はこれから私が寝むりに就くまでの数分間、私の記憶を映すスクリーンとなります。
 私はまるで古い映画を見るかのようにこの灰色掛かった天井を眺め、自身の人生を振り返るのです。とりわけ、君と出会ってからの日々は鮮明に映し出されます。
 出会い。幸せな日々。手作りの花壇。焼き芋……。
 私がその映画を見るのは、今日が最後になることでしょう。